川上 恭子, 芳野 弘, 五十嵐 弘之, 千葉 義幸, 芳野 原, 弘世 貴久
日本老年医学会雑誌 54(2) 186-190 2017年4月
特発性正常圧水頭症(Idiopathic normal pressure hydrocephalus:iNPH)はくも膜下出血,髄膜炎などの先行疾患がなく,歩行障害を主体として認知機能低下,尿失禁をきたし髄液循環障害に起因する脳室拡大を伴う病態である.今回,インスリン手技困難を契機にiNPHを診断しえた高齢2型糖尿病患者について報告する.症例は80歳,男性.当院内科に糖尿病にて外来通院中であった.20XX年3月中旬,自分で打っているインスリンの単位が分からなくなり,最近は他院の薬剤が内服できていないことに家族が気づいた.外来受診時の採血でHbA1c 8.4%と増悪し同年4月初旬に記憶障害および糖尿病精査加療目的にて入院となった.身体所見では外股,歩幅狭小といった歩行障害を認め,検査所見ではCK 326IU/lの軽度上昇,随時血糖243mg/dl,HbA1c 8.0%と糖尿病の血糖コントロールが不良であった.入院後より家族の問診からインスリンの手技が覚えられない,歩行障害,転倒,尿失禁があったことや長谷川式スコア(HDS-R)が10点と低値であることから,神経疾患や認知症の存在の可能性を考慮した.画像検査にて頭部MRIでは高位円蓋部の狭小を,水平断でEvans index 0.29とわずかに基準値以下であったものの脳室の拡大を認めた.以上の臨床症状や画像所見からiNPHの可能性を疑った.iNPHを評価する上でTap testを施行したが,HDS-Rが10から22と著明に改善,Up and Go testにおいても改善を認めた.以上から本症例はiNPHと診断した.その後,第31病日に右脳室腹腔シャント術を行い第55病日に退院し,術後のHDS-R,MMSE,Up and Go testも改善した.糖尿病については入院時インスリン頻回注射を継続していたが,退院後の生活を考慮しBasal oral therapy(BOT)に変更し,HbA1c 7.5%まで改善した.今回のiNPHの診断の契機となった認知機能障害とインスリン手技についてMMSE 23点以下は,インスリン自己注射が困難であり介護者に注射を依頼することが多くMMSE 24〜25点で目盛の確認などの一部の援助を必要とする.今回,インスリン手技困難,歩行困難,排尿障害からiNPHを認めた2型高齢糖尿病患者の一例を経験した.高齢糖尿病患者でインスリン手技の困難がある場合は認知機能低下の存在に留意し,歩行障害や尿失禁があればiNPHの存在の可能性を考慮すべきである.(著者抄録)