内藤 準
社会学評論 65(3) 390-408 2014年 査読有り
「機会の平等」は現代社会の最重要な規範的原理の1つであり, 階層研究では「完全移動」 (親子の地位の独立) として解釈されてきた. しかし近年この考え方に対しては「親子の地位の関連は平等な機会のもとで本人たちが形成した選好に基づく選択の結果でありうる」という強力な理論的批判が提示されている (個人選択説). そこで本稿では, 階層研究における機会の平等概念の理論的分析をおこない, 完全移動や結果の平等との関係を再検討する. そして, 完全移動を機会の平等の指標とする伝統的なアイデアを個人選択説の批判から救い出すことを試みる.<br>先行研究の検討とシンプルな理論モデルを用いた分析から以下のことが明らかになる. 第1に, 階層の再生産に関するいくつかの社会のタイプのうち, 機会が平等な社会は, 本人の地位が親の地位によってではなく本人に責任のある個人的要因によって規定されることを条件とする. 第2に, 機会の平等は完全移動を含意するが, 完全移動は「個人の責任」を考慮しないため機会の平等を含意せず, 両者はこの点で異なる. 第3に, 機会の平等を完全移動とする従来の考え方は個人選択説の批判を避けられない. だが分析対象である「社会階層」を適切に定義する分析枠組みをおけば, 選好形成に関する個人選択説の仮定が成立しなくなり批判は解除される. 最後に, 本稿の知見がもたらす今後の研究への方法論的含意と規範理論的課題への社会学的アプローチを示す.