関村 オリエ, 熊谷 圭知, 久木元 美琴
日本地理学会発表要旨集 305 2023年
1.女性たちの関係性 報告者は,ジェンダーの視点により,近代家族を下支えとした都市の職住分離構造やそこに計画された空間である郊外における住民の実践に注目し,都市空間の変容を考察してきた(関村2018).その中では,お互いを支え合う女性たちの関係性がカギとなってきたが,こうした関係性が都市空間の変容にとっていかに重要なものであるのか,その意義を十分検討するには至っていなかった. レスリー・カーン(2022)『フェミニスト・シティ』では,著者自身の経験より,女性同士の絆や友情を通じて「世界をつくる」ことが,家父長的秩序が支配的である都市空間を変更するために有効であると繰り返し示されている.これまでフェミニスト地理学においても指摘されてきたように,建築や都市計画においては,「標準的人間」として男性(男の子)がユーザーとして想定され,それ以外の存在,たとえば「標準」とは異なるからだや役割を持つとされる女性(女の子)は想定されてこなかった.それゆえ都市空間は,彼女たちにとってはアクセスも居心地も悪く,身の安全を確保することも容易ではなかった.こうして周縁に追いやられている女性たちが,都市空間に自分たちの居場所をつくり出すためには,女性同士の友情が必要である,とカーンはいう. 本報告では,『フェミニスト・シティ』「友達の街(City of Friendship)」における女性同士の友情についての議論をもとに,地理学,特にフェミニスト地理学においても取り上げられることが少なかった女性たちの関係性に焦点を当て,都市空間の再構築の可能性について考察したい.
2.女性の友情と都市 女同士の友情は,これまで「物語の小道具」としてみなされるか,「恋愛関係の代用品」,「(特に男性パートナー不在の場合)それを補うもの」として位置づけられてきた.そもそも男性を中心としたホモソーシャルな社会においては,「すべての女は男への帰属をめぐって潜在的なライバル関係に置かれるため,女同士の間には,原理上『友情』は成立しないことになっている」(上野2010:235)ため,女性の友情は,その存在すら認められてこなかった.こうした神話やステレオタイプは,女性たちが関係性を深め,お互いに力を合わせて自身や都市空間を変えていくための「足枷」になっている(カーン2022:86). 『フェミニスト・シティ』の著者カーンは,カナダ・トロントの出身であるが,幼少期にはトロント郊外のミシサガという街に育った.郊外でティーンエイジャーになったカーンは,成長とともに自宅の寝室や地下室など幼い頃から遊び場にしていた空間に退屈し,外への興味を抱くようになる.加えて彼女にとって郊外は,常に両親や教師などの詮索的な視線を受け,どこかプライバシーのない空間となっていた.それゆえこうした視線から逃れ,匿名でいられるストリートなどの公共空間にこそ自身のプライベートがあると感じ,都市への憧れを深めていく.ある夜,映画を見るためにカーンは友人とふたりでトロントの街へ内緒で出かけていく.いつの間にか所持金を無くしてしまった二人は,ポケットに残る硬貨で24時間営業のコーヒーショップに入り,始発を待つことになった.彼女はこのときの思い出を次のように振り返る.「都市のまったく新しい姿に触れること,自分たちの限界を試すこと,そして街は時に自分たちの味方をしてくれるという感覚…都市で自由になることが可能だと私たちに教えてくれたのは友情だった」(カーン2022:90)
3.「女の問い」 友人との冒険後も,幾度となく新たな世界を開いてくれた女性同士の友情(つながり)と都市の存在を確認するカーンだったが,一つの問いに突き当たる.それは,都市における利害を共にする,さまざまな女性たちへの配慮,つまり「女の問い」であった.家庭内で孤独を深める女性,ジェントリフィケーションにより居場所を失うクィア女性,何かにつけて取り締まりを受ける有色人種の女性.白人女性であるカーンは,自らの特権性の問題に直面しながら考えていた.「どうすれば私たちは空間,とりわけ都市の空間を創り出したり変えたりして,人生にわたって私たちを支えてくれるような関係性を実践し,維持できる可能性を押し広げられるか」(カーン2022:118)
4.インターセクショナリティの視点 都市空間における女性の友情とは,そのものが資本主義イデオロギーへのカウンターであり,独自のエコノミーである.フェミニスト・シティとは,女性,先住民,クィア…多様な関係性を改めて中心に据え,それらを尊重し,育み合っていくことができる街のことであり,これは都市空間の変容に向けた非常に重要な指摘である.