黒木 達雄
保険学雑誌 2015(628) 139-157 2015年3月
第二次世界大戦終戦後の財務危機に瀕した生保各社の経営再建が金融機関再建整備法によって進もうとしていた矢先,日本生命が突如として金融機関再建整備法によらない相互会社形態の第二会社設立に踏み切った。これが13社の一挙相互会社化という世界の保険業史上稀にみる現象の発端となったわけだが,本稿では日本生命が相互会社化に踏み切った理由の解明を試みた。<br />相互会社化に関しGHQとの交渉役を務めた藤本正雄の談話記録が明かすその理由とは,経営再建を賭けた小口契約切換え運動の成功には第二会社の早期設立が必須だったこと,弘世家の社長承継を公職追放令や労働組合の影響下実現するには相互会社形態の第二会社設立が最も有効だったこと,であった。<br />相互会社化の解明は,今後,戦後の相互会社経営をめぐる従来の学説にも一石を投じることとなろう。