研究者業績

白川 哲郎

Tetsurou Shirakawa

基本情報

所属
大阪樟蔭女子大学 学芸学部 国文学科 教授
学位
文学士(金沢大学)
修士(金沢大学 大学院)
博士(文学)(大阪大学)

J-GLOBAL ID
200901001911262180
researchmap会員ID
1000291197

委員歴

 5

論文

 20
  • 白川哲郎
    樟蔭国文学 (60) 17-40 2024年3月  
    2021年に再発見された田辺聖子氏の昭和20年8月15日を含む樟蔭女子専門学校在学中の日記(『田辺聖子 十八歳の日の記録』文藝春秋刊)を基に、氏の自伝的作品群と比較対象しながら読み解くことで、氏の樟蔭女専在学中の学校生活の一端を明らかにした。さらにその日記や、氏の『欲しがりません勝つまでは』、あるいは日記中に遺されていた未完の小説「無題」からうかがい知られる読書等の痕跡から、高等女学校から女子専門学校在学中に幅広い“教養”=〈知〉を田辺氏が身につけていっていたことについて指摘した。
  • 白川哲郎
    樟蔭国文学 (59) 1-17 2023年3月  
    2021年に再発見された作家・田辺聖子氏(1928年~2019年)の手になる、樟蔭女子専門学校在学中の1945年4月から1947年3月までの日記(『田辺聖子 十八歳の日の記録』<文藝春秋、2021年>として刊行)をもとに、田辺氏の漢文への関心のありようについて検討した。さらに田辺氏の女子専門学校1年次の授業ノートを紹介、検討することを通して、当時の樟蔭女子専門学校においては、当時田辺氏が執筆した小説中の登場人物のモデルの一人と考えられる漢文担当の大江文城先生により、日本、とりわけ江戸時代の漢詩について講義されていたことなどを明らかにした。
  • 白川哲郎
    大阪樟蔭女子大学研究紀要 第2巻 85-94 2012年1月  
    樟蔭学園に遺る樟蔭女子専門学校の教務日誌のうち、昭和19年度(1944年4月~45年3月)分について翻刻、紹介した。次に、昭和19年度教務日誌の記事について、主に勤労動員・繰り上げ卒業・空襲という三つの観点から考察した。いずれの点からも、当時の樟蔭女専の動きが政府の方針に則ったものであったことが浮き彫りとなった。それが、現実感を帯びてきた空襲の脅威に備えつつ、国策に則って生徒を勤労動員に集団動員する、十五年戦争最末期における女子高等教育の学校現場の実態であったことを指摘した。
  • 白川哲郎
    大阪樟蔭女子大学研究紀要 第1巻 129-136 2011年1月  
    樟蔭女子専門学校『検定ニ関スル試験問題集』の中から1928~45年度の技芸科関係の試験問題について、紹介、考察した。そこでは、「和裁」「洋裁」など実技に比重が置かれていた点、デッサン・図解などを求める出題が多いことから単に裁縫技術だけでなく、和服・洋服制作の前提となる図を描く技術の習得が重視されている点などを指摘した。また、ヨーロッパで学んだ大橋富枝氏が教鞭をとっていたことから、当時の樟蔭女専の洋裁教育が最先端かつ高度な水準にあったことも確認した。さらに、太平洋戦争中女性に着用が勧められた「婦人標準服」「モンペイ」の制作に関わる問題が出題されていることから、実技重視の「裁縫」試験問題にあっても戦争の影響が見出される点も指摘した。
  • 白川哲郎
    大阪樟蔭女子大学論集 (第47号) 1-18 2010年1月  
    樟蔭女子専門学校『検定ニ関スル試験問題集』の中から1928~45年度の家政科関係の試験問題について、紹介、考察した。そこでは、いくつかの科目で当時の経済状況や戦況を反映する試験問題が出題されていたこと、また実用的な科目であるが故に、戦時下の物資や食料が不足する中で、それに対処し得る知識や技量を問う、実践的な出題がなされていることを指摘した。あわせて、樟蔭女専家政科教授古澤クラ氏の著書『割烹実習要目』の概要も紹介した。
  • 白川哲郎
    大阪樟蔭女子大学論集 (第46号) 1-16 2009年1月  
    樟蔭学園に遺る樟蔭女子専門学校の『検定ニ関スル試験問題集』を取り上げ、その中から1928~45年度の国文科関係の試験問題について考察した。その結果、この時期の樟蔭女専国語試験問題では、①日本・中国のいわゆる古典文学に関する豊富な知識が求められていたこと、②明治期以降の文学を文学史の上に位置づけてようとする当時の文学史の動向を反映する出題がなされていたことを指摘した。また、1937年度の戦意高揚のための「国民歌」である「愛国行進曲」の鑑賞を求める出題や、1943年度の「大東亜共栄圏」域における国語の位置づけを問う出題からは、十五年戦争の影響を読み取ることができることについても指摘した。
  • 白川哲郎
    大阪樟蔭女子大学論集 (第45号) 1-18 2008年1月  
    日中戦争の勃発によって昭和戦前期における転換の年となった昭和12年(1937)に焦点をあて、樟蔭学園関係資料のうち特に学園広報誌『樟蔭學報』に基づきながら、当時の学園の様相の解明を試みた。その記事からは、日中戦争勃発後、学園広報誌にすぎなかった『樟蔭學報』が、国策を宣伝・広報する媒体の性格を併せ持つよう変化していたことが知られた。また記事のうち、樟蔭高等女学校・樟蔭女子専門学校の「学校彙報」からは、昭和12年9月以降展開された国民精神総動員運動の学校現場における具体的な実施実態について窺い知ることができることも指摘した。
  • 分担執筆, 小森道彦, 藤澤良行, 福田敦志, 白川哲郎
    大阪樟蔭女子大学論集 45(第45号) 27-29-31 2008年1月  
    教員有志団体「Fプロジェクト」の活動のうち、2006年12月に実施した金沢工業大学・沖縄国際大学の視察とその検討を通して、本学に於ける初年次教育の可能性について考察した。そして、両大学の取り組みから本学が学ぶべき点として、グループ学習の導入や授業外における学びのプログラムの推進、初年次教育の「核」となる科目を中心としたカリキュラムの見直しなどについて提言した。p.19-31
  • 白川哲郎
    大阪樟蔭女子大学論集 (第44号) 204-222 2007年3月  
    本稿前半では、新たに入手した樟蔭学園発行の二つの絵葉書セットに関して、①1925年4月以前の大正期に発行された絵葉書セットからは設立に関わった人々の理想としたところを読み取ることができること、また②1935年の会館完成後間もない時期に発行された絵葉書セットは、昭和一桁代に定着した「樟蔭ブランド」を象徴する内容になっていることを指摘した。また本稿後半では、1918年の樟蔭高等女学校開学と同時に着任し、約20年間にわたって樟蔭学園の体育教育を支えた朝輝記太留氏関係の新収集資料を紹介、分析した。その結果、朝輝氏の体育教育、特に学校ダンスが当時の「最先端」の内容を有するものであったことを明らかにした。
  • 分担執筆, 白川哲郎, 有田節子, 小森道彦, 藤澤良行, 福田敦志
    大阪樟蔭女子大学論集 (第44号) 159-163 2007年3月  
    白川担当の「基礎ゼミA」の実践を検討することを通して、大阪樟蔭女子大学における初年次教育の進むべき道と課題について述べる。白川は、自身が担当した「基礎ゼミA」の目標、内容、方法を実際の授業に即して述べた。共著者らは、参与観察や受講学生へのインタビュー調査などをもとに、白川の実践を批判的に分析するとともに、それを通して、初年次教育改革に向けての提言を行った。 p.157-172
  • 分担執筆, 福田敦志, 有田節子, 小森道彦, 白川哲郎, 藤澤良行
    大阪樟蔭女子大学論集 (第43号) 186-188 2006年3月  
    大阪樟蔭女子大学における授業改善を目指して結成された、教員有志による「Fプロジェクト」の活動報告。「授業を開く」ことの必要性と意義について述べる。白川は、自身が担当する「日本史(中世)B」と共著者福田担当の授業「人間形成論」とを比較検討することを通して、学生の学習意欲に応えうる授業内容及びカリキュラムの構築の必要性と、1年次教育の重要性を指摘した。p.179-191
  • 白川 哲郎
    大阪樟蔭女子大学論集 (第43号) 244(9)-230(23) 2006年3月  
    「樟蔭学園草創期資料のデータベース化とその活用」と題する研究の一環。2005年度にデータベースを試作した(竹内さおり氏作成)学園広報誌『樟蔭學報』について分析した。『樟蔭學報』は、昭和11~13年に発行された樟蔭学園の広報誌で、その内容からは、当時の樟蔭高女・女専の具体的様相を窺い知ることができる。そのうち本稿では、まず『樟蔭學報』創刊号表紙の絵に注目し、そこに描かれた二人の女生徒が、昭和初期の樟蔭高女生と樟蔭女専生の典型的な姿であり、特に深緑色の袴を身につけた樟蔭女専生は、昭和初期「樟蔭ブランド」が定着した頃の理想の生徒像であることを指摘した。また、『樟蔭學報』の昭和11年と同12年の運動会の紹介記事に注目し、その差異から、昭和12年7月に勃発した日中全面戦争の影響が運動会という主たる学校行事に及ぼした影響を明らかにした。
  • 白川 哲郎
    大阪樟蔭女子大学論集 (第42号) 252(23)-238(37) 2005年3月  
    「樟蔭学園草創期資料のデータベース化とその活用」と題する研究の一環として、樟蔭学園記念館学園資料室に保管されている『職員會誌』の翻刻作業を行っている。その中から、本稿では、樟蔭女子専門学校(「樟蔭女専」と略す)が昭和4年に獲得した中等教員免許無試験検定(「無試験検定」と略す)に関わる記事を翻刻紹介した。さらに、その内容に加えて、当時の伊賀駒吉郎校長や樟蔭女専生の回顧、また、入学生数・卒業生数や無試験検定合格者数の推移から、無試験検定獲得が樟蔭女専にとって有した意義について分析した。無試験検定獲得が、樟蔭女専にとって女子高等教育機関としての地歩を固める上で重要な意義を有したのみならず、樟蔭女専、ひいてはその設立母体である樟蔭学園が高い社会的評価を得、女子教育機関としての「樟蔭ブランド」確立の画期となる出来事であったことを指摘した。
  • 白川哲郎
    古代中世の社会と国家 461-477 1998年12月  
    鎌倉後期における目代・在庁官人らの動向に改めて注目し,国衙による賦課徴収に関して発生した事件によって,彼らが鎌倉幕府法廷に訴えられた事例を検討した。その結果,国務掌握者である知行国主や国司から経済的負担の納入を期待された目代・在庁官人らが,それを果たす課程で,彼らの行動が容易に非法行為へと発展しえたこと,そしてそれを取り巻く状況が,鎌倉後末期の在地社会における反幕府的情勢をさらに醸成したと考えられることなどについて指摘した。
  • 白川哲郎
    1-287 1996年3月  
    平成8年3月提出平成9年2月26日学位授与<br /> 既発表の論文2・3・4・5をもとに,鎌倉時代の王朝国家政治機構について,「鎌倉期王朝国家の中央政治機構」「平安末~鎌倉期の大嘗会用途調達」「鎌倉時代における国衙の機能」「鎌倉時代の国雑掌」「鎌倉時代後末期における国衙の動向と王朝国家」の五章(序章・終章を除く)にわたって論じた。そこでは,公卿議定-行事所-国雑掌-目代-国衙-在庁官人という,鎌倉時代王朝国家の中央から地方にいたる政治機構と,その媒介者の全体像を提示した。また,当該期王朝国家財政の構造とその変遷についても言及した。さらに,鎌倉時代の国衙の果たしていた機能について指摘するとともに,当時の地方行政上に占めた国衙の重要性についても強調した。
  • 白川 哲郎
    ヒストリア (第149号) 132-152-153 1995年12月  査読有り
    これまで検討されることがほとんど無かった鎌倉期,特に鎌倉後期の国衙が有した諸機能について考察し,当該期においても国衙がさまざまな機能を稼動させていたことを指摘した。その際,国衙が保有する文書の管理権が特に重要であったことを強調したところである。さらに,国衙行政の実際を担った目代・在庁官人らの動向に注目し,彼らが中央政府の意図を越えた独自の行動をとるようになっていたことも指摘した。そしてその点に,倒幕から南北朝内乱へと展開して行く要因の一つを見出そうと試みた。
  • 白川 哲郎, Shirakawa Tetsuro, シラカワ テツロウ
    待兼山論叢〈史学篇〉 27(第27号) 27-55-55 1993年12月  
    王朝国家中央政府と地方行政機関である国衙とを媒介する存在として「国雑掌」に注目し,鎌倉期における彼らの活動実態と役割について考察した。その結果,鎌倉期においても国雑掌は一般的な存在であり,彼らは国司や知行国主の在京代官的存在として,①各種負担の賦課・徴収から,その中央政府への納入に至るまでを担っていたこと,②①から派生した訴訟に関して,王朝国家法廷のみならず,幕府法廷においても,国司・知行国主の代理として活動していたことを明らかにした。
  • 白川 哲郎
    ヒストリア (第134号) 23-42-42 1992年3月  査読有り
    平安末期から鎌倉後期にかけての大嘗会実施費用の調達方法を検討することで,当該期の王朝国家財政の構造とその変遷について考察した。大嘗会用途は,①諸国へ割り当てての調達,②諸官司からの調達,③成功,④a王朝国家内権門からの負担によって調達されており,鎌倉幕府成立後は,それらに④b幕府からの負担(=「関東御訪」)が加わったことを指摘した。そして,平安最末期には①の比重が大きかったが,鎌倉中期には③の役割が拡大し,鎌倉後期になると,④bの占める比重が格段に高まることも明らかにした。
  • 白川 哲郎
    日本史研究 (第347号) 23-49-49 1991年7月  査読有り
    公事用途(=国家的行事実施のための費用)の調達の問題を素材に,鎌倉期の行事所(=行事実施のために臨時に組織された機関)に焦点をあてた考察を行った。その結果,公事用途は,本来諸国に割り当てて調達されることになっていたが,それは当該期十分に機能しておらず,行事所によって徴募された成功(=売官)で補われていたことが明らかとなった。さらに,実務官人らによって院・天皇をも含む公卿議定と行事所が連動され,その両者の共働によって公事用途調達という政務が執行されていたことを指摘した。
  • 白川 哲郎
    日本史研究 (第298号) 52-75-75 1987年6月  査読有り
    院政期,検非違使庁(使庁)を掌握することは公的暴力装置としての機能のみならず,徴税機能,都市京都支配のための機能を掌握することを意味した。中世成立期の政治史上重要な位置を占める平氏政権が,その使庁を如何に掌握したかについて,使庁長官の別当,使庁の機能の実際を担った尉・志の補任状況から検討した。それによって,平氏が,①尉・志の家人化と②家人の尉・志への補任という方法によって使庁を掌握し,その権力基盤としていたことが明らかとなった。

MISC

 10
  • 白川 哲郎
    樟蔭国文学 (51) 23-45 2014年3月  
    樟蔭女子専門学校に遺る『検定ニ関スル試験問題集』の中から、昭和15(1940)~19(1944)年度の国文科の「国語」に関する試験問題を翻刻、考察した。加えて、樟蔭女子専門学校国文科における「国語」試験問題の推移と特色についても指摘した。
  • 白川 哲郎
    樟蔭国文学 (50) 23-33 2013年3月  
    樟蔭女子専門学校に遺る『検定ニ関スル試験問題集』の中から、昭和21(1946)~23(1948)年度の国文科の「国語」に関する試験問題を翻刻、考察した。
  • 白川哲郎
    アルケイア―記録・情報・歴史― (6) 1-23 2012年3月  
    2011年12月16日(金曜)南山大学名古屋キャンパスで行った講演「大学資料と自校教育 ―大阪樟蔭女子大学の場合―」 の記録。
  • 白川哲郎, 本間悦江, 宮本愛美, 吉田みなみ
    樟蔭国文学 (47) 59-70 2010年3月  筆頭著者
    2009年度国文学科開講の講義「歴史文化総合研究A」における成果として、樟蔭女子専門学校に遺る『検定ニ関スル試験問題集』の中から、昭和3(1928)~13(1938)年度の国文科の「国語」に関する試験問題を翻刻、考察した。『古事記』『万葉集』『源氏物語』、①近世文学が出題の中心となっていること、②昭和10年度から出題に加わった武田宗俊先生の出題が、明治以降、特に当時としては現代文学に当たる文学作品を出題対象としており、それまでの問題とは異なる新たな一面を付け加えていることを指摘した。
  • 白川哲郎
    樟蔭国文学 (45) 29-39 2008年3月  
    樟蔭学園に遺る樟蔭女子専門学校の1928年(昭和3)の『教授要目』(現在の講義概要・シラバスに該当)と、中等教員無試験検定取り扱いに関わる『検定ニ関スル試験問題集』の中から女専第一期生が受験した同年の国文科関係の試験問題を紹介することを通して、樟蔭女子専門学校開設間もない時期における同国文科で行われた教育の一端を紹介した。

書籍等出版物

 4

講演・口頭発表等

 7
  • 白川哲郎
    平成31(2019)年度 大阪樟蔭女子大学図書館 公開講座 2019年12月7日 大阪樟蔭女子大学図書館
    木村長門守重成という武将の名は、戦国物のゲームを除けば、今はその名を目にすることも、耳にすることもほとんど無い。しかし、“大坂城の花”と讃えられた重成は、戦前は尋常小学校の教科書にも取り上げられ、誰もが知る英雄(ヒーロー)であった。大坂夏の陣・若江岩田の戦いで討ち死にした重成は、大正末~昭和初期、東大阪にあった映画会社・帝国キネマでも彼を主人公とした映画が作られ、東大阪とも縁の深い人物である。この木村重成を素材に、歴史的英雄像の変遷について講演した。
  • 樟蔭学園100周年×東大阪市市制施行50周年連携企画_『樟徳館』等特別公開と帝国キネマ展 2017年11月12日 東大阪市・一般社団法人東大阪市ツーリズム振興機構
    樟蔭学園の創立者森平蔵の旧宅であった樟徳館は、かつての帝国キネマ長瀬撮影所跡地に建っている。帝国キネマの歴史を概観するとともに、帝キネが制作した映画作品における注目点、特には長瀬撮影所で撮影された作品やそこで活躍した監督らの注目点などについて、当時のチラシや映画雑誌の記事などをもとに講演した。
  • 南山大学史料室講演会 2011年12月16日 南山大学資料室
    2011年12月16日(金)南山大学名古屋キャンパス 主催)南山大学史料室
  • 第6回「市内5大学合同公開講座」 2010年2月2日 東大阪市教育委員会
    樟蔭学園は、1917(大正6)年の創立以来、東大阪小阪の地で歴史を積み重ねてきました。樟蔭に遺る各種の資料、とりわけ戦前期の写真や16ミリフィルムの映像などをもとに、当時の樟蔭で行われていた女子教育の実態や、そこから垣間見ることのできる当時の社会状況について考えます。それを通して、当時の東大阪の姿についても振り返ってみます。
  • 加西市史を読む会 2009年2月21日 加西市史・文化財室分室
    2009年2月21日 中世1特別企画講演会講師 講演題目「板碑と中世の加西」(於:アスティア加西)

担当経験のある科目(授業)

 7

Works(作品等)

 6

共同研究・競争的資金等の研究課題

 2

社会貢献活動

 6

教育方法の実践例

 2
  • 件名
    「博物館実習」における現役学芸員との対話を組み入れた授業の実施
    年月日(From)
    2004/04/01
    年月日(To)
    2010/03/31
    概要
    日本文化史学科に設置された学芸員課程必修科目「博物館実習」の担当教員として、館務実習の受入れ先確保に努めるとともに、館務実習の事前事後の校内実習及び見学実習のとりまとめを担った。その際、事前指導の一環として、第一線で活躍する学芸員の方を大学へお招きし、直接お話を聞いて学ぶ機会を必ず設け、履修生の資格取得への動機付けを明確にするとともに、現場における問題点などをあらかじめ理解させるよう努めた。特に初年度にあたった2004年度においては、「博物館の現状と“女性”学芸員」と題するシンポジウムを2004年7月17日(土曜日)に開催した。この企画に関しては、平成15年度の全国博物館学講座協議会西日本部会より研究助成を得、シンポジウムの詳細については、報告書を作成している。
  • 件名
    学芸学部日本文化史学科必修科目「文化財論」「文化遺産論」における学園所有の登録有形文化財(建造物)を活用した授業の展開
    年月日(From)
    2001/04/01
    年月日(To)
    2007/09/30
    概要
    日本文化史学科必修科目「文化財論」「文化遺産論」において、学園が有する登録有形文化財(建造物)である樟徳館・記念館などの教材化を企図し、学外授業において大阪市内の近代建築を見学した知見などももとに、樟徳館・記念館の保存・活用計画を立案するなどを内容とした講義を設計、展開した。それについては、「樟蔭学園が有する<近代建築>とその教材化の試み」と題する論文として発表した。

作成した教科書

 4
  • 件名
    『樟蔭の窓』(新版)
    年月日(From)
    2016/04/01
    年月日(To)
    2020/03/31
    概要
    自校教育科目「樟蔭の窓」教科書
  • 件名
    『樟蔭の窓』
    年月日(From)
    2011/04/01
    年月日(To)
    2016/03/31
    概要
    自校教育科目「樟蔭の窓」教科書(編集代表)
  • 件名
    『アカデミック・スキルズA ワークブック』
    年月日(From)
    2012/04/01
    年月日(To)
    2019/09/30
    概要
    初年次教育科目「アカデミック・スキルズA」テキスト
  • 件名
    『アカデミック・スキルズB ワークブック』
    概要
    初年次教育科目「アカデミック・スキルズB」テキスト

その他(教育上の能力)

 1
  • 件名
    学士課程基幹教育科目全学必修科目「樟蔭の窓」担当
    年月日(From)
    2021/04/01
    概要
    2021年度より全学必修科目となった学士課程基幹教育科目「樟蔭の窓」(基本的には、LMSを活用した遠隔授業による実施)を担当。

資格・免許

 3
  • 件名
    中学校教諭一級普通免許状 教科:社会
    年月日
    1985/03/25
    概要
    石川県教育委員会 中学校教諭一級普通免許状 教科:社会,昭五九中一普第一五一号
  • 件名
    高等学校教諭二級普通免許状 教科:社会
    年月日
    1985/03/25
    概要
    石川県教育委員会 高等学校教諭二級普通免許状 教科:社会,昭五九高二普第二四五号
  • 件名
    高等学校教諭一級普通免許状 教科:社会
    年月日
    1988/03/25
    概要
    石川県教育委員会 高等学校教諭一級普通免許状 教科:社会 昭六二高一普第八六号

その他(職務上の実績)

 7
  • 件名
    大阪樟蔭女子大学公開講座市民セミナー講師「平安末期の災害ルポルタージュ−鴨長明が見た飢饉と地震−」
    年月日(From)
    2000/11/20
    概要
    「平安末期の災害ルポルタージュ−鴨長明が見た飢饉と地震−」
  • 件名
    大阪樟蔭女子大学公開講座市民セミナー講師「街の“記憶”−河内小阪駅周辺の近代建築から−」
    年月日(From)
    2003/12/15
    概要
    「街の“記憶”−河内小阪駅周辺の近代建築から−」
  • 件名
    第20回国文学科公開授業第7回講師「十五年戦争下の女子教育−樟蔭の場合/戦争と運動会−」
    年月日(From)
    2008/08/09
    概要
    第20回国文学科公開授業「大阪文化探訪」第7回「十五年戦争下の女子教育 −樟蔭の場合/戦争と運動会−」と題し、第二次世界大戦下の女子教育の実際について、樟蔭高等女学校および樟蔭女子専門学校における運動会の実施状況を素材として、講演した。
  • 件名
    第23回国文学科公開授業第2回講師「『平家物語』のなかの女院たち」
    年月日(From)
    2011/06/04
    概要
    第23回国文学科公開授業「日本文学の中の女性たち」の第2回として、『平家物語』のなかの女院たち」と題し、建春門院平滋子と建礼門院平徳子を取り上げ、当時の女院が果たした役割などについて解説した。
  • 件名
    第24回国文学科公開授業第2回講師「藤原明衡と『新猿楽記』」
    年月日(From)
    2012/05/26
    概要
    平安時代中期を代表する文人貴族藤原明衡と彼の書いた『新猿楽記』を取り上げ、戯作の妙を確認することを通して、王朝女流文学とは異なる、新しい文学の扉が開かれたことについて解説した。
  • 件名
    平成24年度 大阪樟蔭女子大学 公開講演会(関屋)「清盛の時代の父子関係とその心理〜藤原頼長・鴨長明を題材に、史学と心理学の視点から〜」講師
    年月日(From)
    2012/12/01
    概要
    心理学部坂田浩之氏とともに、平安時代末期の藤原頼長や鴨長明に関して、彼らの日記や著作をもとに、当時の貴族の父子関係について考えた。
  • 件名
    平成29年度春期公開講座(国文学科)「大阪上方の言葉文化」第3回講師「帝国キネマと樟徳館」
    年月日(From)
    2017/06/03
    概要
    樟蔭学園の創立者森平蔵の私邸であった樟徳館の魅力について解説するとともに、その樟徳館が建てられている土地に昭和初期に存在した帝国キネマ長瀬撮影所、および現在そのほとんどが失われてしまっている帝国キネマが制作した映画などについて、その概略を紹介した。