研究者検索結果一覧 白川 哲郎 白川 哲郎Tetsurou Shirakawa ダウンロードする帳票の形式を下記より選択して下さい 「教育研究等環境」形式 「文科省帳票様式第4号 ①履歴書」形式 「文科省帳票様式第4号 ②教育研究業績書」形式 基本情報 所属大阪樟蔭女子大学 学芸学部 国文学科 教授学位文学士(金沢大学)修士(金沢大学 大学院)博士(文学)(大阪大学)J-GLOBAL ID200901001911262180researchmap会員ID1000291197 研究キーワード 3 近代女子高等教育 王朝国家 鎌倉時代 研究分野 1 人文・社会 / 日本史 / 中世史 経歴 16 2016年4月 - 現在 大阪樟蔭女子大学 学芸学部 国文学科 教授 2007年4月 - 2016年3月 大阪樟蔭女子大学 学芸学部 国文学科 准教授 2001年4月 - 2007年3月 大阪樟蔭女子大学 学芸学部 日本文化史学科 助教授 2001年4月 - 2002年3月 樟蔭女子短期大学 樟蔭女子短期大学 兼任講師 1999年4月 - 2001年3月 樟蔭女子短期大学 樟蔭女子短期大学 日本文化史科 助教授 もっとみる 学歴 3 1989年4月 - 1993年3月 大阪大学 大学院 文学研究科 後期課程 史学専攻 1985年4月 - 1988年3月 金沢大学 大学院 文学研究科 史学専攻 専門分野国史学 1981年4月 - 1985年3月 金沢大学 文学部 史学科 日本史学専攻 委員歴 5 2007年6月 - 2009年6月 大阪歴史学会 中世史部会委員(編集担当) 1998年11月 - 2000年11月 日本史研究会 編集委員 1994年6月 - 1995年6月 大阪歴史学会 監査委員 1992年6月 - 1994年6月 大阪歴史学会 庶務委員 1990年6月 - 1992年6月 大阪歴史学会 企画委員 論文 20 田辺聖子〈知の履歴〉へのアプローチ―『田辺聖子 十八歳の日の記録』を起点として― 白川哲郎 樟蔭国文学 (60) 17-40 2024年3月 2021年に再発見された田辺聖子氏の昭和20年8月15日を含む樟蔭女子専門学校在学中の日記(『田辺聖子 十八歳の日の記録』文藝春秋刊)を基に、氏の自伝的作品群と比較対象しながら読み解くことで、氏の樟蔭女専在学中の学校生活の一端を明らかにした。さらにその日記や、氏の『欲しがりません勝つまでは』、あるいは日記中に遺されていた未完の小説「無題」からうかがい知られる読書等の痕跡から、高等女学校から女子専門学校在学中に幅広い“教養”=〈知〉を田辺氏が身につけていっていたことについて指摘した。 『田辺聖子 十八歳の日の記録』から見た樟蔭女子専門学校ー漢文への関心と大江文城先生を中心にー 白川哲郎 樟蔭国文学 (59) 1-17 2023年3月 2021年に再発見された作家・田辺聖子氏(1928年~2019年)の手になる、樟蔭女子専門学校在学中の1945年4月から1947年3月までの日記(『田辺聖子 十八歳の日の記録』<文藝春秋、2021年>として刊行)をもとに、田辺氏の漢文への関心のありようについて検討した。さらに田辺氏の女子専門学校1年次の授業ノートを紹介、検討することを通して、当時の樟蔭女子専門学校においては、当時田辺氏が執筆した小説中の登場人物のモデルの一人と考えられる漢文担当の大江文城先生により、日本、とりわけ江戸時代の漢詩について講義されていたことなどを明らかにした。 教務日誌に見る昭和19年度の樟蔭女子専門学校 白川哲郎 大阪樟蔭女子大学研究紀要 第2巻 85-94 2012年1月 樟蔭学園に遺る樟蔭女子専門学校の教務日誌のうち、昭和19年度(1944年4月~45年3月)分について翻刻、紹介した。次に、昭和19年度教務日誌の記事について、主に勤労動員・繰り上げ卒業・空襲という三つの観点から考察した。いずれの点からも、当時の樟蔭女専の動きが政府の方針に則ったものであったことが浮き彫りとなった。それが、現実感を帯びてきた空襲の脅威に備えつつ、国策に則って生徒を勤労動員に集団動員する、十五年戦争最末期における女子高等教育の学校現場の実態であったことを指摘した。 十五年戦争期の女子専門学校「裁縫」試験問題 白川哲郎 大阪樟蔭女子大学研究紀要 第1巻 129-136 2011年1月 樟蔭女子専門学校『検定ニ関スル試験問題集』の中から1928~45年度の技芸科関係の試験問題について、紹介、考察した。そこでは、「和裁」「洋裁」など実技に比重が置かれていた点、デッサン・図解などを求める出題が多いことから単に裁縫技術だけでなく、和服・洋服制作の前提となる図を描く技術の習得が重視されている点などを指摘した。また、ヨーロッパで学んだ大橋富枝氏が教鞭をとっていたことから、当時の樟蔭女専の洋裁教育が最先端かつ高度な水準にあったことも確認した。さらに、太平洋戦争中女性に着用が勧められた「婦人標準服」「モンペイ」の制作に関わる問題が出題されていることから、実技重視の「裁縫」試験問題にあっても戦争の影響が見出される点も指摘した。 十五年戦争期の女子専門学校「家事」試験問題 白川哲郎 大阪樟蔭女子大学論集 (第47号) 1-18 2010年1月 樟蔭女子専門学校『検定ニ関スル試験問題集』の中から1928~45年度の家政科関係の試験問題について、紹介、考察した。そこでは、いくつかの科目で当時の経済状況や戦況を反映する試験問題が出題されていたこと、また実用的な科目であるが故に、戦時下の物資や食料が不足する中で、それに対処し得る知識や技量を問う、実践的な出題がなされていることを指摘した。あわせて、樟蔭女専家政科教授古澤クラ氏の著書『割烹実習要目』の概要も紹介した。 もっとみる MISC 10 樟蔭女子専門学校国文科「国語」試験問題の翻刻と紹介(3) 白川 哲郎 樟蔭国文学 (51) 23-45 2014年3月 樟蔭女子専門学校に遺る『検定ニ関スル試験問題集』の中から、昭和15(1940)~19(1944)年度の国文科の「国語」に関する試験問題を翻刻、考察した。加えて、樟蔭女子専門学校国文科における「国語」試験問題の推移と特色についても指摘した。 樟蔭女子専門学校国文科「国語」試験問題の翻刻と紹介(2) 白川 哲郎 樟蔭国文学 (50) 23-33 2013年3月 樟蔭女子専門学校に遺る『検定ニ関スル試験問題集』の中から、昭和21(1946)~23(1948)年度の国文科の「国語」に関する試験問題を翻刻、考察した。 大学資料と自校教育 ―大阪樟蔭女子大学の場合― 白川哲郎 アルケイア―記録・情報・歴史― (6) 1-23 2012年3月 2011年12月16日(金曜)南山大学名古屋キャンパスで行った講演「大学資料と自校教育 ―大阪樟蔭女子大学の場合―」 の記録。 樟蔭女子専門学校国文科「国語」試験問題の翻刻と紹介(1) 白川哲郎, 本間悦江, 宮本愛美, 吉田みなみ 樟蔭国文学 (47) 59-70 2010年3月 筆頭著者 2009年度国文学科開講の講義「歴史文化総合研究A」における成果として、樟蔭女子専門学校に遺る『検定ニ関スル試験問題集』の中から、昭和3(1928)~13(1938)年度の国文科の「国語」に関する試験問題を翻刻、考察した。『古事記』『万葉集』『源氏物語』、①近世文学が出題の中心となっていること、②昭和10年度から出題に加わった武田宗俊先生の出題が、明治以降、特に当時としては現代文学に当たる文学作品を出題対象としており、それまでの問題とは異なる新たな一面を付け加えていることを指摘した。 昭和初期の樟蔭女子専門学校国文科-昭和三年の『教授要目』と『検定ニ関スル試験問題集』から- 白川哲郎 樟蔭国文学 (45) 29-39 2008年3月 樟蔭学園に遺る樟蔭女子専門学校の1928年(昭和3)の『教授要目』(現在の講義概要・シラバスに該当)と、中等教員無試験検定取り扱いに関わる『検定ニ関スル試験問題集』の中から女専第一期生が受験した同年の国文科関係の試験問題を紹介することを通して、樟蔭女子専門学校開設間もない時期における同国文科で行われた教育の一端を紹介した。 もっとみる 書籍等出版物 4 『伊賀市史』第一巻 通史編 古代・中世(編集担当・分担執筆) 担当編集委員, 伊藤真昭, 白川哲郎, 西村さとみ (担当:共著) 伊賀市 2011年3月 三重県伊賀市の市史通史編を編集委員として担当。また、古代第七章第一節および中世第二章第二節・第五章第二節第一項を分担執筆。 A5版総頁数930 『加西市史』第一巻 本編1 原始・古代・中世(第三章第一節2、第二節4・5、第三節3 を分担執筆) 第三章分担執筆者, 家塚智子, 市沢哲, 伊藤俊一, 川合康, 栗山圭子, 白川哲郎, 森田竜雄, 福永文夫 (担当:共著) 加西市 2008年3月 兵庫県加西市の市史本編。第三章「中世争乱期の加西」第一~三節を分担執筆。 B5版総頁数664 『伊賀市史』第四巻 資料編 古代・中世(編集担当・分担執筆) 担当編集委員, 伊藤真昭, 白川哲郎, 西村さとみ, 分担執筆者, 伊藤真昭, 白川哲郎, 西村さとみ, 大田壮一郎, 熊谷隆之, 田中大介, 古野貢, 西村幸信, 笠井賢治 (担当:共著) 伊賀市 2008年3月 三重県伊賀市の市史資料編を編集委員として担当。また、古代・中世史料のうち、特に中世史料部分を分担執筆。 A5版総頁数1024 『加西市史』第八巻 史料編2 古代・中世・近世Ⅰ(中世部分分担執筆) 中世史料部分分担執筆者, 西谷地晴美, 家塚智子, 市沢哲, 伊藤俊一, 川合康, 栗山圭子, 白川哲郎, 森田竜雄 (担当:共著) 加西市 2006年3月 兵庫県加西市の市史史料編。中世史料部分を分担執筆。B5版総頁数728 講演・口頭発表等 7 「消えたヒーロー~“大阪城の花”木村長門守重成と東大阪~」 白川哲郎 平成31(2019)年度 大阪樟蔭女子大学図書館 公開講座 2019年12月7日 大阪樟蔭女子大学図書館 木村長門守重成という武将の名は、戦国物のゲームを除けば、今はその名を目にすることも、耳にすることもほとんど無い。しかし、“大坂城の花”と讃えられた重成は、戦前は尋常小学校の教科書にも取り上げられ、誰もが知る英雄(ヒーロー)であった。大坂夏の陣・若江岩田の戦いで討ち死にした重成は、大正末~昭和初期、東大阪にあった映画会社・帝国キネマでも彼を主人公とした映画が作られ、東大阪とも縁の深い人物である。この木村重成を素材に、歴史的英雄像の変遷について講演した。 「樟徳館前史~未完の帝キネ物語 in 東大阪~」 樟蔭学園100周年×東大阪市市制施行50周年連携企画_『樟徳館』等特別公開と帝国キネマ展 2017年11月12日 東大阪市・一般社団法人東大阪市ツーリズム振興機構 樟蔭学園の創立者森平蔵の旧宅であった樟徳館は、かつての帝国キネマ長瀬撮影所跡地に建っている。帝国キネマの歴史を概観するとともに、帝キネが制作した映画作品における注目点、特には長瀬撮影所で撮影された作品やそこで活躍した監督らの注目点などについて、当時のチラシや映画雑誌の記事などをもとに講演した。 「大学資料と自校教育 ―大阪樟蔭女子大学の場合―」 南山大学史料室講演会 2011年12月16日 南山大学資料室 2011年12月16日(金)南山大学名古屋キャンパス 主催)南山大学史料室 「昭和初期の東大阪と樟蔭ー樟蔭学園所蔵資料を中心としてー」 第6回「市内5大学合同公開講座」 2010年2月2日 東大阪市教育委員会 樟蔭学園は、1917(大正6)年の創立以来、東大阪小阪の地で歴史を積み重ねてきました。樟蔭に遺る各種の資料、とりわけ戦前期の写真や16ミリフィルムの映像などをもとに、当時の樟蔭で行われていた女子教育の実態や、そこから垣間見ることのできる当時の社会状況について考えます。それを通して、当時の東大阪の姿についても振り返ってみます。 「板碑と中世の加西 ―鎌倉時代を中心に―」 加西市史を読む会 2009年2月21日 加西市史・文化財室分室 2009年2月21日 中世1特別企画講演会講師 講演題目「板碑と中世の加西」(於:アスティア加西) もっとみる 担当経験のある科目(授業) 7 2021年4月 - 現在 樟蔭の窓 2019年4月 - 現在 歴史の読み方 2018年4月 - 現在 大阪・上方のことば文化 2011年4月 - 現在 アカデミック・スキルズ_A 2010年4月 - 現在 日本文化論 もっとみる 所属学協会 3 大阪歴史学会 北陸史学会 日本史研究会 Works(作品等) 6 『樟蔭の窓』 2016年4月1日 - 2020年9月30日 教材 『アカデミック・スキルズB ワークブック』 2012年10月1日 - 2020年3月31日 教材 『アカデミック・スキルズA ワークブック』 2012年4月1日 - 2019年9月30日 教材 『樟蔭の窓』 2011年4月1日 - 2016年3月31日 教材 大阪樟蔭女子大学学芸員課程シンポジウム「博物館の現状と“女性”学芸員」(全国大学博物館学講座協議会西日本部会平成15年度研究助成報告書) 2006年3月 その他 2004年7月17日(土曜日)に開催した大阪樟蔭女子大学学芸員課程シンポジウム「博物館の現状と“女性”学芸員」の報告書。内容は三部構成をとっている。第Ⅰ部は、大阪樟蔭女子大学学芸員課程で白川が中心となって実施した、博物館と女性の学芸員を対象とする2種類のアンケートの集計結果を載せる(白川執筆)。第Ⅱ部は、シンポジウム当日の記録で、共同研究者による報告と討論要旨・参加記からなる。第Ⅲ部は、シンポジウムに参加した学芸員課程履修学生の感想文集となっている。総頁数189 もっとみる 共同研究・競争的資金等の研究課題 2 東大阪市内にある歴史文化遺産の調査及びその活用についての提言 東大阪市 2015年6月 - 2016年3月 近畿大学文芸学部, 教授 網伸也 博物館の現状と“女性”学芸員 全国大学博物館学講座協議会西日本部会 2003年 社会貢献活動 6 かんさい・大学ミュージアムネットワーク 大学建築をさぐる「大阪樟蔭女子大学 樟古館・記念館」 講師 かんさい大学ミュージアムネットワーク 「大学建築をさぐる」バスツアー見学会 2019年10月19日 三重県伊賀市『伊賀市史』歴史編 編集委員 編集 三重県伊賀市 2004年11月 - 2018年3月 (東大阪市と中河内の文化資源3)「近畿大学周辺の歴史と文化 古代の小若江と旧長瀬川流域」リーフレット作成 分担執筆 東大阪市教育委員会/近畿大学文芸学部 文化・歴史学科 (東大阪市と中河内の文化資源3)「近畿大学周辺の歴史と文化 古代の小若江と旧長瀬川流域」 (「昭和の名建築 “樟徳館”」) 2017年3月31日 (東大阪市と中河内の文化資源2)「戦国時代の若江 若江城と若江の戦い」リーフレット作成(平成27年度東大阪市地域研究助成金事業) 分担執筆 東大阪市教育委員会/近畿大学 文芸学部 文化・歴史学科 (東大阪市と中河内の文化資源2)「戦国時代の若江 若江城と若江の戦い」 (「イケメン武将木村重成と美形チャンバラ俳優市川百々之助」) 2016年3月31日 帝キネ映画東大阪実行委員会「帝キネ長瀬作品(『何が彼女をそうさせたか』上映事業」実行委員 運営参加・支援 帝キネ映画東大阪上映実行委員会 「帝キネ映画・故郷に帰る」 (樟蔭学園 会館) 2007年10月 - 2008年2月 樟蔭学園創設者の森平蔵氏の旧宅、現・樟徳館が建っている地には、昭和初期、「東洋のハリウッド」と呼ばれた帝国キネマ長瀬撮影所が存在した。地域広報紙『ふれあい東大阪』を発行する東大阪コミュニティニュースの会が中心となって組織された帝キネ映画東大阪実行委員会では、地域の歴史を掘り起こし、地域の活性化に寄与することを目指して、長瀬撮影所で撮影された鈴木重吉監督『何が彼女をそうさせたか』(昭和4年制作、昭和5年『キネマ旬報』最優秀映画投票第1位作品)を長瀬撮影所とゆかりの深い樟蔭学園において上映することを計画、上映会を開催した。題名が当時の流行語ともなった『何が彼女をそうさせたか』(原作藤森成吉)は、昭和初期の「傾向映画」の名作であり、その上映は、当時の社会情勢を知る上でも貴重な企画となった。さらに、1993年になってロシアからフィルムが持ち帰られた経緯なども併せると、日本の映画史上極めて興味深い作品の上映 平成18年度下半期大阪楽座事業「おまけ博士とたどる大阪モガ・モボ時代展―樟蔭学園のあゆみと大正・昭和のくらしと遊び―」実行委員 運営参加・支援 (主催)NPO法人おまけ文化の会 (共催)樟蔭学園 平成18年度下半期大阪楽座事業「おまけ博士とたどる大阪モガ・モボ時代展―樟蔭学園のあゆみと大正・昭和のくらしと遊び―」 (樟蔭学園 記念館) 2006年11月 グリコの豆玩具デザイナーとして活躍した宮本順三氏は1915年に大阪の商家に生まれ、幼少期から晩年までを現在の東大阪市菱屋西で過ごした。また菱屋西の地には、1917年に樟蔭高等女学校が設立された。宮本氏や樟蔭高等女学校が生まれた頃から昭和初期にかけての時期、大阪は未曾有の発展を遂げて「大大阪」と呼ばれる時代を迎え、街には近代建築が立ち並び、モガやモボが闊歩していた。展示では、樟蔭学園に遺された資料と宮本順三氏およびその兄弟姉妹が遺した当時のくらしや遊びを伝える資料を展示し、大阪のモボ・モガ時代、長瀬川沿いの当時を振り返った。なお、この企画は平成18年度下半期の「大阪楽座事業(大阪府)」として選定され、開催された。 開催日:2006年11月11日・12日 開催場所:樟蔭学園記念館 1 教育方法の実践例 2 件名 「博物館実習」における現役学芸員との対話を組み入れた授業の実施 年月日(From) 2004/04/01 年月日(To) 2010/03/31 概要 日本文化史学科に設置された学芸員課程必修科目「博物館実習」の担当教員として、館務実習の受入れ先確保に努めるとともに、館務実習の事前事後の校内実習及び見学実習のとりまとめを担った。その際、事前指導の一環として、第一線で活躍する学芸員の方を大学へお招きし、直接お話を聞いて学ぶ機会を必ず設け、履修生の資格取得への動機付けを明確にするとともに、現場における問題点などをあらかじめ理解させるよう努めた。特に初年度にあたった2004年度においては、「博物館の現状と“女性”学芸員」と題するシンポジウムを2004年7月17日(土曜日)に開催した。この企画に関しては、平成15年度の全国博物館学講座協議会西日本部会より研究助成を得、シンポジウムの詳細については、報告書を作成している。 件名 学芸学部日本文化史学科必修科目「文化財論」「文化遺産論」における学園所有の登録有形文化財(建造物)を活用した授業の展開 年月日(From) 2001/04/01 年月日(To) 2007/09/30 概要 日本文化史学科必修科目「文化財論」「文化遺産論」において、学園が有する登録有形文化財(建造物)である樟徳館・記念館などの教材化を企図し、学外授業において大阪市内の近代建築を見学した知見などももとに、樟徳館・記念館の保存・活用計画を立案するなどを内容とした講義を設計、展開した。それについては、「樟蔭学園が有する<近代建築>とその教材化の試み」と題する論文として発表した。 1 作成した教科書 4 件名 『樟蔭の窓』(新版) 年月日(From) 2016/04/01 年月日(To) 2020/03/31 概要 自校教育科目「樟蔭の窓」教科書 件名 『樟蔭の窓』 年月日(From) 2011/04/01 年月日(To) 2016/03/31 概要 自校教育科目「樟蔭の窓」教科書(編集代表) 件名 『アカデミック・スキルズA ワークブック』 年月日(From) 2012/04/01 年月日(To) 2019/09/30 概要 初年次教育科目「アカデミック・スキルズA」テキスト 件名 『アカデミック・スキルズB ワークブック』 概要 初年次教育科目「アカデミック・スキルズB」テキスト 1 その他(教育上の能力) 1 件名 学士課程基幹教育科目全学必修科目「樟蔭の窓」担当 年月日(From) 2021/04/01 概要 2021年度より全学必修科目となった学士課程基幹教育科目「樟蔭の窓」(基本的には、LMSを活用した遠隔授業による実施)を担当。 1 資格・免許 3 件名 中学校教諭一級普通免許状 教科:社会 年月日 1985/03/25 概要 石川県教育委員会 中学校教諭一級普通免許状 教科:社会,昭五九中一普第一五一号 件名 高等学校教諭二級普通免許状 教科:社会 年月日 1985/03/25 概要 石川県教育委員会 高等学校教諭二級普通免許状 教科:社会,昭五九高二普第二四五号 件名 高等学校教諭一級普通免許状 教科:社会 年月日 1988/03/25 概要 石川県教育委員会 高等学校教諭一級普通免許状 教科:社会 昭六二高一普第八六号 1 その他(職務上の実績) 7 件名 大阪樟蔭女子大学公開講座市民セミナー講師「平安末期の災害ルポルタージュ−鴨長明が見た飢饉と地震−」 年月日(From) 2000/11/20 概要 「平安末期の災害ルポルタージュ−鴨長明が見た飢饉と地震−」 件名 大阪樟蔭女子大学公開講座市民セミナー講師「街の“記憶”−河内小阪駅周辺の近代建築から−」 年月日(From) 2003/12/15 概要 「街の“記憶”−河内小阪駅周辺の近代建築から−」 件名 第20回国文学科公開授業第7回講師「十五年戦争下の女子教育−樟蔭の場合/戦争と運動会−」 年月日(From) 2008/08/09 概要 第20回国文学科公開授業「大阪文化探訪」第7回「十五年戦争下の女子教育 −樟蔭の場合/戦争と運動会−」と題し、第二次世界大戦下の女子教育の実際について、樟蔭高等女学校および樟蔭女子専門学校における運動会の実施状況を素材として、講演した。 件名 第23回国文学科公開授業第2回講師「『平家物語』のなかの女院たち」 年月日(From) 2011/06/04 概要 第23回国文学科公開授業「日本文学の中の女性たち」の第2回として、『平家物語』のなかの女院たち」と題し、建春門院平滋子と建礼門院平徳子を取り上げ、当時の女院が果たした役割などについて解説した。 件名 第24回国文学科公開授業第2回講師「藤原明衡と『新猿楽記』」 年月日(From) 2012/05/26 概要 平安時代中期を代表する文人貴族藤原明衡と彼の書いた『新猿楽記』を取り上げ、戯作の妙を確認することを通して、王朝女流文学とは異なる、新しい文学の扉が開かれたことについて解説した。 件名 平成24年度 大阪樟蔭女子大学 公開講演会(関屋)「清盛の時代の父子関係とその心理〜藤原頼長・鴨長明を題材に、史学と心理学の視点から〜」講師 年月日(From) 2012/12/01 概要 心理学部坂田浩之氏とともに、平安時代末期の藤原頼長や鴨長明に関して、彼らの日記や著作をもとに、当時の貴族の父子関係について考えた。 件名 平成29年度春期公開講座(国文学科)「大阪上方の言葉文化」第3回講師「帝国キネマと樟徳館」 年月日(From) 2017/06/03 概要 樟蔭学園の創立者森平蔵の私邸であった樟徳館の魅力について解説するとともに、その樟徳館が建てられている土地に昭和初期に存在した帝国キネマ長瀬撮影所、および現在そのほとんどが失われてしまっている帝国キネマが制作した映画などについて、その概略を紹介した。 1
白川 哲郎Tetsurou Shirakawa ダウンロードする帳票の形式を下記より選択して下さい 「教育研究等環境」形式 「文科省帳票様式第4号 ①履歴書」形式 「文科省帳票様式第4号 ②教育研究業績書」形式 基本情報 所属大阪樟蔭女子大学 学芸学部 国文学科 教授学位文学士(金沢大学)修士(金沢大学 大学院)博士(文学)(大阪大学)J-GLOBAL ID200901001911262180researchmap会員ID1000291197 研究キーワード 3 近代女子高等教育 王朝国家 鎌倉時代 研究分野 1 人文・社会 / 日本史 / 中世史 経歴 16 2016年4月 - 現在 大阪樟蔭女子大学 学芸学部 国文学科 教授 2007年4月 - 2016年3月 大阪樟蔭女子大学 学芸学部 国文学科 准教授 2001年4月 - 2007年3月 大阪樟蔭女子大学 学芸学部 日本文化史学科 助教授 2001年4月 - 2002年3月 樟蔭女子短期大学 樟蔭女子短期大学 兼任講師 1999年4月 - 2001年3月 樟蔭女子短期大学 樟蔭女子短期大学 日本文化史科 助教授 もっとみる 学歴 3 1989年4月 - 1993年3月 大阪大学 大学院 文学研究科 後期課程 史学専攻 1985年4月 - 1988年3月 金沢大学 大学院 文学研究科 史学専攻 専門分野国史学 1981年4月 - 1985年3月 金沢大学 文学部 史学科 日本史学専攻 委員歴 5 2007年6月 - 2009年6月 大阪歴史学会 中世史部会委員(編集担当) 1998年11月 - 2000年11月 日本史研究会 編集委員 1994年6月 - 1995年6月 大阪歴史学会 監査委員 1992年6月 - 1994年6月 大阪歴史学会 庶務委員 1990年6月 - 1992年6月 大阪歴史学会 企画委員 論文 20 田辺聖子〈知の履歴〉へのアプローチ―『田辺聖子 十八歳の日の記録』を起点として― 白川哲郎 樟蔭国文学 (60) 17-40 2024年3月 2021年に再発見された田辺聖子氏の昭和20年8月15日を含む樟蔭女子専門学校在学中の日記(『田辺聖子 十八歳の日の記録』文藝春秋刊)を基に、氏の自伝的作品群と比較対象しながら読み解くことで、氏の樟蔭女専在学中の学校生活の一端を明らかにした。さらにその日記や、氏の『欲しがりません勝つまでは』、あるいは日記中に遺されていた未完の小説「無題」からうかがい知られる読書等の痕跡から、高等女学校から女子専門学校在学中に幅広い“教養”=〈知〉を田辺氏が身につけていっていたことについて指摘した。 『田辺聖子 十八歳の日の記録』から見た樟蔭女子専門学校ー漢文への関心と大江文城先生を中心にー 白川哲郎 樟蔭国文学 (59) 1-17 2023年3月 2021年に再発見された作家・田辺聖子氏(1928年~2019年)の手になる、樟蔭女子専門学校在学中の1945年4月から1947年3月までの日記(『田辺聖子 十八歳の日の記録』<文藝春秋、2021年>として刊行)をもとに、田辺氏の漢文への関心のありようについて検討した。さらに田辺氏の女子専門学校1年次の授業ノートを紹介、検討することを通して、当時の樟蔭女子専門学校においては、当時田辺氏が執筆した小説中の登場人物のモデルの一人と考えられる漢文担当の大江文城先生により、日本、とりわけ江戸時代の漢詩について講義されていたことなどを明らかにした。 教務日誌に見る昭和19年度の樟蔭女子専門学校 白川哲郎 大阪樟蔭女子大学研究紀要 第2巻 85-94 2012年1月 樟蔭学園に遺る樟蔭女子専門学校の教務日誌のうち、昭和19年度(1944年4月~45年3月)分について翻刻、紹介した。次に、昭和19年度教務日誌の記事について、主に勤労動員・繰り上げ卒業・空襲という三つの観点から考察した。いずれの点からも、当時の樟蔭女専の動きが政府の方針に則ったものであったことが浮き彫りとなった。それが、現実感を帯びてきた空襲の脅威に備えつつ、国策に則って生徒を勤労動員に集団動員する、十五年戦争最末期における女子高等教育の学校現場の実態であったことを指摘した。 十五年戦争期の女子専門学校「裁縫」試験問題 白川哲郎 大阪樟蔭女子大学研究紀要 第1巻 129-136 2011年1月 樟蔭女子専門学校『検定ニ関スル試験問題集』の中から1928~45年度の技芸科関係の試験問題について、紹介、考察した。そこでは、「和裁」「洋裁」など実技に比重が置かれていた点、デッサン・図解などを求める出題が多いことから単に裁縫技術だけでなく、和服・洋服制作の前提となる図を描く技術の習得が重視されている点などを指摘した。また、ヨーロッパで学んだ大橋富枝氏が教鞭をとっていたことから、当時の樟蔭女専の洋裁教育が最先端かつ高度な水準にあったことも確認した。さらに、太平洋戦争中女性に着用が勧められた「婦人標準服」「モンペイ」の制作に関わる問題が出題されていることから、実技重視の「裁縫」試験問題にあっても戦争の影響が見出される点も指摘した。 十五年戦争期の女子専門学校「家事」試験問題 白川哲郎 大阪樟蔭女子大学論集 (第47号) 1-18 2010年1月 樟蔭女子専門学校『検定ニ関スル試験問題集』の中から1928~45年度の家政科関係の試験問題について、紹介、考察した。そこでは、いくつかの科目で当時の経済状況や戦況を反映する試験問題が出題されていたこと、また実用的な科目であるが故に、戦時下の物資や食料が不足する中で、それに対処し得る知識や技量を問う、実践的な出題がなされていることを指摘した。あわせて、樟蔭女専家政科教授古澤クラ氏の著書『割烹実習要目』の概要も紹介した。 もっとみる MISC 10 樟蔭女子専門学校国文科「国語」試験問題の翻刻と紹介(3) 白川 哲郎 樟蔭国文学 (51) 23-45 2014年3月 樟蔭女子専門学校に遺る『検定ニ関スル試験問題集』の中から、昭和15(1940)~19(1944)年度の国文科の「国語」に関する試験問題を翻刻、考察した。加えて、樟蔭女子専門学校国文科における「国語」試験問題の推移と特色についても指摘した。 樟蔭女子専門学校国文科「国語」試験問題の翻刻と紹介(2) 白川 哲郎 樟蔭国文学 (50) 23-33 2013年3月 樟蔭女子専門学校に遺る『検定ニ関スル試験問題集』の中から、昭和21(1946)~23(1948)年度の国文科の「国語」に関する試験問題を翻刻、考察した。 大学資料と自校教育 ―大阪樟蔭女子大学の場合― 白川哲郎 アルケイア―記録・情報・歴史― (6) 1-23 2012年3月 2011年12月16日(金曜)南山大学名古屋キャンパスで行った講演「大学資料と自校教育 ―大阪樟蔭女子大学の場合―」 の記録。 樟蔭女子専門学校国文科「国語」試験問題の翻刻と紹介(1) 白川哲郎, 本間悦江, 宮本愛美, 吉田みなみ 樟蔭国文学 (47) 59-70 2010年3月 筆頭著者 2009年度国文学科開講の講義「歴史文化総合研究A」における成果として、樟蔭女子専門学校に遺る『検定ニ関スル試験問題集』の中から、昭和3(1928)~13(1938)年度の国文科の「国語」に関する試験問題を翻刻、考察した。『古事記』『万葉集』『源氏物語』、①近世文学が出題の中心となっていること、②昭和10年度から出題に加わった武田宗俊先生の出題が、明治以降、特に当時としては現代文学に当たる文学作品を出題対象としており、それまでの問題とは異なる新たな一面を付け加えていることを指摘した。 昭和初期の樟蔭女子専門学校国文科-昭和三年の『教授要目』と『検定ニ関スル試験問題集』から- 白川哲郎 樟蔭国文学 (45) 29-39 2008年3月 樟蔭学園に遺る樟蔭女子専門学校の1928年(昭和3)の『教授要目』(現在の講義概要・シラバスに該当)と、中等教員無試験検定取り扱いに関わる『検定ニ関スル試験問題集』の中から女専第一期生が受験した同年の国文科関係の試験問題を紹介することを通して、樟蔭女子専門学校開設間もない時期における同国文科で行われた教育の一端を紹介した。 もっとみる 書籍等出版物 4 『伊賀市史』第一巻 通史編 古代・中世(編集担当・分担執筆) 担当編集委員, 伊藤真昭, 白川哲郎, 西村さとみ (担当:共著) 伊賀市 2011年3月 三重県伊賀市の市史通史編を編集委員として担当。また、古代第七章第一節および中世第二章第二節・第五章第二節第一項を分担執筆。 A5版総頁数930 『加西市史』第一巻 本編1 原始・古代・中世(第三章第一節2、第二節4・5、第三節3 を分担執筆) 第三章分担執筆者, 家塚智子, 市沢哲, 伊藤俊一, 川合康, 栗山圭子, 白川哲郎, 森田竜雄, 福永文夫 (担当:共著) 加西市 2008年3月 兵庫県加西市の市史本編。第三章「中世争乱期の加西」第一~三節を分担執筆。 B5版総頁数664 『伊賀市史』第四巻 資料編 古代・中世(編集担当・分担執筆) 担当編集委員, 伊藤真昭, 白川哲郎, 西村さとみ, 分担執筆者, 伊藤真昭, 白川哲郎, 西村さとみ, 大田壮一郎, 熊谷隆之, 田中大介, 古野貢, 西村幸信, 笠井賢治 (担当:共著) 伊賀市 2008年3月 三重県伊賀市の市史資料編を編集委員として担当。また、古代・中世史料のうち、特に中世史料部分を分担執筆。 A5版総頁数1024 『加西市史』第八巻 史料編2 古代・中世・近世Ⅰ(中世部分分担執筆) 中世史料部分分担執筆者, 西谷地晴美, 家塚智子, 市沢哲, 伊藤俊一, 川合康, 栗山圭子, 白川哲郎, 森田竜雄 (担当:共著) 加西市 2006年3月 兵庫県加西市の市史史料編。中世史料部分を分担執筆。B5版総頁数728 講演・口頭発表等 7 「消えたヒーロー~“大阪城の花”木村長門守重成と東大阪~」 白川哲郎 平成31(2019)年度 大阪樟蔭女子大学図書館 公開講座 2019年12月7日 大阪樟蔭女子大学図書館 木村長門守重成という武将の名は、戦国物のゲームを除けば、今はその名を目にすることも、耳にすることもほとんど無い。しかし、“大坂城の花”と讃えられた重成は、戦前は尋常小学校の教科書にも取り上げられ、誰もが知る英雄(ヒーロー)であった。大坂夏の陣・若江岩田の戦いで討ち死にした重成は、大正末~昭和初期、東大阪にあった映画会社・帝国キネマでも彼を主人公とした映画が作られ、東大阪とも縁の深い人物である。この木村重成を素材に、歴史的英雄像の変遷について講演した。 「樟徳館前史~未完の帝キネ物語 in 東大阪~」 樟蔭学園100周年×東大阪市市制施行50周年連携企画_『樟徳館』等特別公開と帝国キネマ展 2017年11月12日 東大阪市・一般社団法人東大阪市ツーリズム振興機構 樟蔭学園の創立者森平蔵の旧宅であった樟徳館は、かつての帝国キネマ長瀬撮影所跡地に建っている。帝国キネマの歴史を概観するとともに、帝キネが制作した映画作品における注目点、特には長瀬撮影所で撮影された作品やそこで活躍した監督らの注目点などについて、当時のチラシや映画雑誌の記事などをもとに講演した。 「大学資料と自校教育 ―大阪樟蔭女子大学の場合―」 南山大学史料室講演会 2011年12月16日 南山大学資料室 2011年12月16日(金)南山大学名古屋キャンパス 主催)南山大学史料室 「昭和初期の東大阪と樟蔭ー樟蔭学園所蔵資料を中心としてー」 第6回「市内5大学合同公開講座」 2010年2月2日 東大阪市教育委員会 樟蔭学園は、1917(大正6)年の創立以来、東大阪小阪の地で歴史を積み重ねてきました。樟蔭に遺る各種の資料、とりわけ戦前期の写真や16ミリフィルムの映像などをもとに、当時の樟蔭で行われていた女子教育の実態や、そこから垣間見ることのできる当時の社会状況について考えます。それを通して、当時の東大阪の姿についても振り返ってみます。 「板碑と中世の加西 ―鎌倉時代を中心に―」 加西市史を読む会 2009年2月21日 加西市史・文化財室分室 2009年2月21日 中世1特別企画講演会講師 講演題目「板碑と中世の加西」(於:アスティア加西) もっとみる 担当経験のある科目(授業) 7 2021年4月 - 現在 樟蔭の窓 2019年4月 - 現在 歴史の読み方 2018年4月 - 現在 大阪・上方のことば文化 2011年4月 - 現在 アカデミック・スキルズ_A 2010年4月 - 現在 日本文化論 もっとみる 所属学協会 3 大阪歴史学会 北陸史学会 日本史研究会 Works(作品等) 6 『樟蔭の窓』 2016年4月1日 - 2020年9月30日 教材 『アカデミック・スキルズB ワークブック』 2012年10月1日 - 2020年3月31日 教材 『アカデミック・スキルズA ワークブック』 2012年4月1日 - 2019年9月30日 教材 『樟蔭の窓』 2011年4月1日 - 2016年3月31日 教材 大阪樟蔭女子大学学芸員課程シンポジウム「博物館の現状と“女性”学芸員」(全国大学博物館学講座協議会西日本部会平成15年度研究助成報告書) 2006年3月 その他 2004年7月17日(土曜日)に開催した大阪樟蔭女子大学学芸員課程シンポジウム「博物館の現状と“女性”学芸員」の報告書。内容は三部構成をとっている。第Ⅰ部は、大阪樟蔭女子大学学芸員課程で白川が中心となって実施した、博物館と女性の学芸員を対象とする2種類のアンケートの集計結果を載せる(白川執筆)。第Ⅱ部は、シンポジウム当日の記録で、共同研究者による報告と討論要旨・参加記からなる。第Ⅲ部は、シンポジウムに参加した学芸員課程履修学生の感想文集となっている。総頁数189 もっとみる 共同研究・競争的資金等の研究課題 2 東大阪市内にある歴史文化遺産の調査及びその活用についての提言 東大阪市 2015年6月 - 2016年3月 近畿大学文芸学部, 教授 網伸也 博物館の現状と“女性”学芸員 全国大学博物館学講座協議会西日本部会 2003年 社会貢献活動 6 かんさい・大学ミュージアムネットワーク 大学建築をさぐる「大阪樟蔭女子大学 樟古館・記念館」 講師 かんさい大学ミュージアムネットワーク 「大学建築をさぐる」バスツアー見学会 2019年10月19日 三重県伊賀市『伊賀市史』歴史編 編集委員 編集 三重県伊賀市 2004年11月 - 2018年3月 (東大阪市と中河内の文化資源3)「近畿大学周辺の歴史と文化 古代の小若江と旧長瀬川流域」リーフレット作成 分担執筆 東大阪市教育委員会/近畿大学文芸学部 文化・歴史学科 (東大阪市と中河内の文化資源3)「近畿大学周辺の歴史と文化 古代の小若江と旧長瀬川流域」 (「昭和の名建築 “樟徳館”」) 2017年3月31日 (東大阪市と中河内の文化資源2)「戦国時代の若江 若江城と若江の戦い」リーフレット作成(平成27年度東大阪市地域研究助成金事業) 分担執筆 東大阪市教育委員会/近畿大学 文芸学部 文化・歴史学科 (東大阪市と中河内の文化資源2)「戦国時代の若江 若江城と若江の戦い」 (「イケメン武将木村重成と美形チャンバラ俳優市川百々之助」) 2016年3月31日 帝キネ映画東大阪実行委員会「帝キネ長瀬作品(『何が彼女をそうさせたか』上映事業」実行委員 運営参加・支援 帝キネ映画東大阪上映実行委員会 「帝キネ映画・故郷に帰る」 (樟蔭学園 会館) 2007年10月 - 2008年2月 樟蔭学園創設者の森平蔵氏の旧宅、現・樟徳館が建っている地には、昭和初期、「東洋のハリウッド」と呼ばれた帝国キネマ長瀬撮影所が存在した。地域広報紙『ふれあい東大阪』を発行する東大阪コミュニティニュースの会が中心となって組織された帝キネ映画東大阪実行委員会では、地域の歴史を掘り起こし、地域の活性化に寄与することを目指して、長瀬撮影所で撮影された鈴木重吉監督『何が彼女をそうさせたか』(昭和4年制作、昭和5年『キネマ旬報』最優秀映画投票第1位作品)を長瀬撮影所とゆかりの深い樟蔭学園において上映することを計画、上映会を開催した。題名が当時の流行語ともなった『何が彼女をそうさせたか』(原作藤森成吉)は、昭和初期の「傾向映画」の名作であり、その上映は、当時の社会情勢を知る上でも貴重な企画となった。さらに、1993年になってロシアからフィルムが持ち帰られた経緯なども併せると、日本の映画史上極めて興味深い作品の上映 平成18年度下半期大阪楽座事業「おまけ博士とたどる大阪モガ・モボ時代展―樟蔭学園のあゆみと大正・昭和のくらしと遊び―」実行委員 運営参加・支援 (主催)NPO法人おまけ文化の会 (共催)樟蔭学園 平成18年度下半期大阪楽座事業「おまけ博士とたどる大阪モガ・モボ時代展―樟蔭学園のあゆみと大正・昭和のくらしと遊び―」 (樟蔭学園 記念館) 2006年11月 グリコの豆玩具デザイナーとして活躍した宮本順三氏は1915年に大阪の商家に生まれ、幼少期から晩年までを現在の東大阪市菱屋西で過ごした。また菱屋西の地には、1917年に樟蔭高等女学校が設立された。宮本氏や樟蔭高等女学校が生まれた頃から昭和初期にかけての時期、大阪は未曾有の発展を遂げて「大大阪」と呼ばれる時代を迎え、街には近代建築が立ち並び、モガやモボが闊歩していた。展示では、樟蔭学園に遺された資料と宮本順三氏およびその兄弟姉妹が遺した当時のくらしや遊びを伝える資料を展示し、大阪のモボ・モガ時代、長瀬川沿いの当時を振り返った。なお、この企画は平成18年度下半期の「大阪楽座事業(大阪府)」として選定され、開催された。 開催日:2006年11月11日・12日 開催場所:樟蔭学園記念館 1 教育方法の実践例 2 件名 「博物館実習」における現役学芸員との対話を組み入れた授業の実施 年月日(From) 2004/04/01 年月日(To) 2010/03/31 概要 日本文化史学科に設置された学芸員課程必修科目「博物館実習」の担当教員として、館務実習の受入れ先確保に努めるとともに、館務実習の事前事後の校内実習及び見学実習のとりまとめを担った。その際、事前指導の一環として、第一線で活躍する学芸員の方を大学へお招きし、直接お話を聞いて学ぶ機会を必ず設け、履修生の資格取得への動機付けを明確にするとともに、現場における問題点などをあらかじめ理解させるよう努めた。特に初年度にあたった2004年度においては、「博物館の現状と“女性”学芸員」と題するシンポジウムを2004年7月17日(土曜日)に開催した。この企画に関しては、平成15年度の全国博物館学講座協議会西日本部会より研究助成を得、シンポジウムの詳細については、報告書を作成している。 件名 学芸学部日本文化史学科必修科目「文化財論」「文化遺産論」における学園所有の登録有形文化財(建造物)を活用した授業の展開 年月日(From) 2001/04/01 年月日(To) 2007/09/30 概要 日本文化史学科必修科目「文化財論」「文化遺産論」において、学園が有する登録有形文化財(建造物)である樟徳館・記念館などの教材化を企図し、学外授業において大阪市内の近代建築を見学した知見などももとに、樟徳館・記念館の保存・活用計画を立案するなどを内容とした講義を設計、展開した。それについては、「樟蔭学園が有する<近代建築>とその教材化の試み」と題する論文として発表した。 1 作成した教科書 4 件名 『樟蔭の窓』(新版) 年月日(From) 2016/04/01 年月日(To) 2020/03/31 概要 自校教育科目「樟蔭の窓」教科書 件名 『樟蔭の窓』 年月日(From) 2011/04/01 年月日(To) 2016/03/31 概要 自校教育科目「樟蔭の窓」教科書(編集代表) 件名 『アカデミック・スキルズA ワークブック』 年月日(From) 2012/04/01 年月日(To) 2019/09/30 概要 初年次教育科目「アカデミック・スキルズA」テキスト 件名 『アカデミック・スキルズB ワークブック』 概要 初年次教育科目「アカデミック・スキルズB」テキスト 1 その他(教育上の能力) 1 件名 学士課程基幹教育科目全学必修科目「樟蔭の窓」担当 年月日(From) 2021/04/01 概要 2021年度より全学必修科目となった学士課程基幹教育科目「樟蔭の窓」(基本的には、LMSを活用した遠隔授業による実施)を担当。 1 資格・免許 3 件名 中学校教諭一級普通免許状 教科:社会 年月日 1985/03/25 概要 石川県教育委員会 中学校教諭一級普通免許状 教科:社会,昭五九中一普第一五一号 件名 高等学校教諭二級普通免許状 教科:社会 年月日 1985/03/25 概要 石川県教育委員会 高等学校教諭二級普通免許状 教科:社会,昭五九高二普第二四五号 件名 高等学校教諭一級普通免許状 教科:社会 年月日 1988/03/25 概要 石川県教育委員会 高等学校教諭一級普通免許状 教科:社会 昭六二高一普第八六号 1 その他(職務上の実績) 7 件名 大阪樟蔭女子大学公開講座市民セミナー講師「平安末期の災害ルポルタージュ−鴨長明が見た飢饉と地震−」 年月日(From) 2000/11/20 概要 「平安末期の災害ルポルタージュ−鴨長明が見た飢饉と地震−」 件名 大阪樟蔭女子大学公開講座市民セミナー講師「街の“記憶”−河内小阪駅周辺の近代建築から−」 年月日(From) 2003/12/15 概要 「街の“記憶”−河内小阪駅周辺の近代建築から−」 件名 第20回国文学科公開授業第7回講師「十五年戦争下の女子教育−樟蔭の場合/戦争と運動会−」 年月日(From) 2008/08/09 概要 第20回国文学科公開授業「大阪文化探訪」第7回「十五年戦争下の女子教育 −樟蔭の場合/戦争と運動会−」と題し、第二次世界大戦下の女子教育の実際について、樟蔭高等女学校および樟蔭女子専門学校における運動会の実施状況を素材として、講演した。 件名 第23回国文学科公開授業第2回講師「『平家物語』のなかの女院たち」 年月日(From) 2011/06/04 概要 第23回国文学科公開授業「日本文学の中の女性たち」の第2回として、『平家物語』のなかの女院たち」と題し、建春門院平滋子と建礼門院平徳子を取り上げ、当時の女院が果たした役割などについて解説した。 件名 第24回国文学科公開授業第2回講師「藤原明衡と『新猿楽記』」 年月日(From) 2012/05/26 概要 平安時代中期を代表する文人貴族藤原明衡と彼の書いた『新猿楽記』を取り上げ、戯作の妙を確認することを通して、王朝女流文学とは異なる、新しい文学の扉が開かれたことについて解説した。 件名 平成24年度 大阪樟蔭女子大学 公開講演会(関屋)「清盛の時代の父子関係とその心理〜藤原頼長・鴨長明を題材に、史学と心理学の視点から〜」講師 年月日(From) 2012/12/01 概要 心理学部坂田浩之氏とともに、平安時代末期の藤原頼長や鴨長明に関して、彼らの日記や著作をもとに、当時の貴族の父子関係について考えた。 件名 平成29年度春期公開講座(国文学科)「大阪上方の言葉文化」第3回講師「帝国キネマと樟徳館」 年月日(From) 2017/06/03 概要 樟蔭学園の創立者森平蔵の私邸であった樟徳館の魅力について解説するとともに、その樟徳館が建てられている土地に昭和初期に存在した帝国キネマ長瀬撮影所、および現在そのほとんどが失われてしまっている帝国キネマが制作した映画などについて、その概略を紹介した。 1