研究者業績

大谷 弘

オオタニ ヒロシ  (Ohtani Hiroshi)

基本情報

所属
東京女子大学 現代教養学部人文学科哲学専攻 教授
学位
学士(東京大学)
修士(東京大学大学院)
博士(東京大学大学院人文社会系研究科基礎文化研究専攻)

連絡先
h_ohtanilab.twcu.ac.jp
J-GLOBAL ID
201201041390378914
researchmap会員ID
7000001457

研究キーワード

 2

委員歴

 6

論文

 38
  • 大谷 弘
    科学哲学 56(2) 45-66 2024年3月31日  査読有り
  • 大谷 弘
    イギリス哲学研究 47 127-128 2024年3月20日  
  • 大谷弘
    哲学雑誌 136(809) 110-132 2022年10月26日  招待有り
  • Hiroshi Ohtani
    Philosophy 97(1) 91-114 2022年1月  査読有り
  • 大谷弘
    現代思想 総特集ウィトゲンシュタイン 『論理哲学論考』100年 49(16) 117-130 2021年12月  招待有り
  • Hiroshi Ohtani
    Philosophia 49 1631-1649 2021年9月  査読有り
  • Eugen Fischer, Paul E. Engelhardt, Joachim Horvath, Hiroshi Ohtani
    Synthese 198(2) 1029-1070 2021年2月  査読有り
  • Hiroshi Ohtani
    Synthese 195(5) 2039-2063 2018年5月1日  査読有り
    In the scholarship on Wittgenstein’s later philosophy of mathematics, the dominant interpretation is a theoretical one that ascribes to Wittgenstein some type of ‘ism’ such as radical verificationism or anti-realism. Essentially, he is supposed to provide a positive account of our mathematical practice based on some basic assertions. However, I claim that he should not be read in terms of any ‘ism’ but instead should be read as examining philosophical pictures in the sense of unclear conceptions. The contrast here is that basic assertions that frame philosophical ‘isms’ are propositional such that they are subject to normal argumentative evaluation, while pictures in Wittgenstein’s sense are non-propositional—they lack a clear truth condition. They, therefore, need clarification rather than argumentation. In this paper, I provide a detailed analysis of Wittgenstein’s treatment of philosophical pictures with special focus on his argument on contradiction. I begin by explaining the problem with this trend of theoretical interpretation, taking Steve Gerrard’s otherwise excellent interpretation as a representative example and pointing out why it is problematic. Next, I will argue that those problems do not arise if we take Wittgenstein’s task as the clarification of philosophical pictures. I do this, first, by explaining Wittgenstein’s method using his argument concerning the Augustinian Picture in Philosophical Investigations and then pointing out that the same method can be identified in the crucial arguments in his philosophy of mathematics. Finally, in order to connect my interpretation with the current scholarship, I will explain the relation of my interpretation with those of New Wittgensteinian scholars.
  • 大谷 弘, 岩本操
    武蔵野大学人間科学研究所年報 7 27-36 2018年3月  査読有り
  • Hiroshi Ohtani
    Metaphilosophy 49(1-2) 115-136 2018年1月1日  査読有り
    Although certainty is a fundamental notion in epistemology, it is less studied in contemporary analytic epistemology than other important notions such as knowledge or justification. This paper focuses on Wittgensteinian certainty, according to which the very basic dimension of our epistemic practices, the elements of our world-pictures, are objectively certain, in that we cannot legitimately doubt them. The aim of the paper is to offer the best philosophical way to clarify Wittgensteinian certainty, in a way that is consonant with Wittgenstein's fundamental insights. The paper critiques two alternative proposals for clarifying Wittgensteinian certainty that are philosophically unsatisfying: the rule view and the proposition view. Finally, it instead shows how viewing world-pictures as pictures, in the sense of unclear conceptions, is a more philosophically fruitful approach to understanding world-pictures.
  • 大谷 弘
    イギリス哲学研究 40(40) 37-51 2017年3月  査読有り
  • 大谷 弘
    フィルカル 1(2) 142-163 2016年9月  招待有り
    日本のポピュラー歌手槇原敬之の楽曲の分析を通して、ポピュラー音楽を聞くことが、倫理学的探求の実質的要素となりうると論じた。メインストリームの分析系倫理学においては、倫理学的探求は特定のアカデミックなスタイルによってのみ探求されうると前提されている。しかし、これに対しこの論文では、文学的スタイルを倫理学の要素として考えるべきであると論じるマーサ・ヌスバウムの議論に従い、更にそれを拡張する形で、倫理学的探求がスタイルの点でポピュラー音楽を含む多様な要素を含むべきであると結論付けた。
  • Hiroshi Ohtani
    Synthese 193(6) 1795-1816 2016年6月  査読有り
  • 大谷 弘
    研究成果報告書 イギリス思想における常識と啓蒙の系譜とその現代的意義についての研究 79-94 2016年3月  
  • Hiroshi Ohtani
    Papers of the 37th International Wittgenstein Symposium 200-202 2014年8月  査読有り
  • 大谷 弘
    哲学 65(65) 135-150 2014年4月  査読有り
    後期ウィトゲンシュタインの標準的解釈においては、ウィトゲンシュタインに、言語が規則に支配されているという見解が帰される。しかし、本稿は、後期ウィトゲンシュタインの言語と規則についての見解の解釈として、標準的解釈は不適切であると論じる。その理由としては、第一にウィトゲンシュタインの立場は、我々は必要に応じて言葉の意味を規則により説明するというものだということがある。従って、不必要なときには、言葉に対する規則など存在しないのである。第二には、標準的解釈は、ウィトゲンシュタインが実際には避けようとしていた独断的な哲学的方法をウィトゲンシュタインに帰すことになってしまうということがある。標準的解釈においては、言葉の使用規則は規範性の源泉と考えられており、ウィトゲンシュタインやウィトゲンシュタイン主義者が見て取るそのような規則を引くことで、我々はある種の哲学的主張をナンセンスとして却下できるとされる
  • 大谷 弘
    哲学研究論集 (7) 50-73 2013年12月  
  • 大谷 弘
    『武蔵野大学教養教育リサーチセンター紀要 The Basis』 3(3) 179-190 2013年3月  
    ウィトゲンシュタインの『確実性の問題』を検討し、その「世界像」という観念が従来理解されてきたような命題的なものではなく、文字通りの像として理解されるべきであると論じた。すなわち、G.E.ムーアが「常識」と呼び、ウィトゲンシュタインが『確実性の問題』の中でその本性を探った事柄の中には、真理条件を持つ命題としてではなく、我々の生活のあり方を大雑把に表す「像」として理解されるべきものが存在していることを明らかにした。
  • 大谷 弘
    国士舘哲学 13(15) 51-63-63 2011年3月  招待有り
    倫理学を学ぶことに関して、それがどのようなレベルで、どのような仕方で意味を持つのかということを論じた。特に研究者を目指すわけではない普通の人にとって倫理学的な規範的議論を習得することがどのような点で重要であるのかを論じた。また、倫理学の規範的議論が議論の参加者相互の「信頼」というものを資源としているという点を指摘した。
  • 大谷 弘
    武蔵野大学教養教育リサーチセンター紀要 The Basis 1 119-133 2011年3月  
    『哲学探究』におけるウィトゲンシュタインの真理論を検討した。まず『哲学探究』において真理概念が検討されている134-137節を詳細に見ていくことで、ウィトゲンシュタインに真理のデフレ理論を帰す通常の解釈には、根拠が無いことを明らかにした。そのうえで、ウィトゲンシュタインは真理の理解は言語ゲームにおいて、命題の真偽の評価の仕方の習得と分かちがたく結び付いているという点を強調しているとした。また、このウィトゲンシュタイン解釈の哲学的な含意についてもコメントした。
  • Ohtani Hiroshi
    Bulletin of death and life studies 7 176-197-197 2011年3月  査読有り
    ヒラリー・パトナムの道徳的実在論を検討した。まず、パトナム哲学の全体像を①実在論の論争の枠組みを構成する議論、②実在論の論争の根を診断し、治療する議論、③具体的な実践の諸相を見つめる議論、の三種の議論に分類し、整理した。そのうえで、パトナムの立場が科学主義的な立場から一線を画す独特の道徳的実在論であることを明らかにした。また、更にパトナム哲学をより理解可能なものとするためには、人間の道徳的繁栄という統制的理念にコミットする必要があると指摘し、最後に、パトナム哲学が生と死の問題に対して持つ含意を検討した。
  • 東京大学大学院人文社会系研究科 2010年9月  査読有り
  • 大谷 弘
    哲学雑誌 125(797) 183-202-202 2010年9月  査読有り
    哲学的理論の主張や論駁といった通常の論証ではなく、言葉の位置付く言語実践を思い描くというものとして後期ウィトゲンシュタインの哲学的方法を描いた。その上で、その点を理解することで、独断的な主張を含まないものとしてウィトゲンシュタインを解釈できると論じた。
  • 武蔵野大学政治経済学部紀要 (第2号) 91-105 2010年3月  
    特に分析哲学と科学論に焦点を当て、高校倫理の教育と大学における哲学・倫理学教育をつなぐ段階的で総合的な解説を行った。
  • 哲学研究論集 6巻 38-46 2010年3月  
    生物学と物理学の関係についての論争をサーヴェイし、生物学が物理学に還元不可能な自律した科学であると論じた。
  • 大谷弘
    国士舘哲学 13巻(13) 12-32-32 2009年3月  査読有り
    ウィトゲンシュタインの『哲学探究』における規則の問題が思考と言語使用の内的関係について論じたものであるとし、この問題がすでに『論理哲学論考』の中で論じられていると指摘した。また、この問題に対する取り組みという点に関して従来の実在論的意味論と『論理哲学論考』の意味論がいかに異なるかを示すために、ジョン・ロックの実在論的意味論と『論理哲学論考』の比較も行った。
  • 大谷 弘
    武蔵野大学人間関係学部紀要 (第6号) 295-307-307 2009年3月  
    ウィトゲンシュタインがどのような真理観を持っていたのかを明らかにし、彼の真理観が現代のデフレ理論的真理観とどのような点で異なっているのかということを論じた。また、その上で、ウィトゲンシュタインの真理観とダメットやホリッジら現代の論者の真理観との比較を行った。
  • The Proceeding of The 3rd BESETO Conference of Philosophy 191-200 2009年1月  
  • 大谷 弘
    国士舘哲学 12巻(12) 36-55-55 2008年3月  査読有り
    ヒラリー・パトナムの倫理学上の見解を検討し、道徳的実在論として位置付けることができると論じた。その上で、パトナムの実在論は、科学的実践についての考察、特にカルナップに代表される論理実証主義的科学観に対する批判という文脈から形成されてもので、科学的実践と道徳的実践の相互の関係を明らかにすることを目指すものであるということを明らかにした。
  • 哲学研究論集 4巻 33-48 2007年9月  
    近年の矛盾律をめぐる哲学論争を過去のウィトゲンシュタインの矛盾律に関する見解をめぐる論争と比較し、両者がともにクワイン的な科学哲学の中での論理の改訂という枠組みの中に留まるものであることを明らかにした。
  • 大谷弘
    応用倫理・哲学論集 3巻 144-158 2007年3月  査読有り
    飢饉を巡るFAD理論とエンタイトルメント・アプローチを倫理的観点から整理しそれをアマルティア・センの福祉についての潜在能力アプローチと関係付ける。その上で、センの潜在能力アプローチとロールズの基本財アプローチの論争を検討し、ヒラリー・パトナムの内在的実在論の立場により提出された基本的な客観性の概念から潜在能力アプローチを支持しうると論じた。
  • 論集 25巻 149-162 2007年3月  査読有り
    ウィトゲンシュタインが論じた「規則の問題」の『哲学探究』における位置付けについて論じた。また、その中で私的言語論からユニークな哲学的問題を取り出しうると論じた。
  • 死生学研究 (2006年秋号) 20-40 2006年11月  査読有り
    「最後の審判がある」のような宗教的信念について、この信念を表現する文の意味という言語哲学的観点からアプローチし、ダメットやウィトゲンシュタインの立場が宗教的実践の理解にどのように寄与するのかということを検討した。また特に宗教的実践と倫理の関係を分析した。
  • 哲学研究論集 3巻 48-61 2006年5月  
    日本では従来あまり紹介されてこなかった確率の解釈の問題領域をサーベイし、その中で特に傾向性解釈に対して問題となるハンフリーズのパラドクスに対して提案されてきたいくつかの解決が不十分であることを論じた
  • 論集 24巻 271-284 2006年3月  査読有り
    現代認識論およびウィトゲンシュタイン解釈においてマイケル・ウィリアムズが推進している「ウィトゲンシュタイン的文脈主義」の立場を批判的に検討し、これが非常に興味深い論点を含みながらもウィトゲンシュタイン解釈としても、認識論上の立場としても不十分であると論じた
  • 論集 23巻 331-344 2005年3月  査読有り
    ヒラリー・パトナムが近年提唱している「自然な実在論」と、それまでの彼の立場である「内在的実在論」との関係を検討し、知覚や心の哲学についての大きな変化は認められるものの合理性を重視し形而上学的実在論を拒否するという基本的な立場には変更がないということを確認した。
  • 大谷 弘
    哲学研究論集 2巻(2) 72-83-83 2005年3月  
    「あいまいさ」の問題に対してキット・ファインの提唱したスーパーヴァリュエイショニズムの検討から、文脈的差異に注目することがあいまいさの問題の解決につながるということを示し、また近年の文脈主義の文脈概念が不十分なものであると論じた。そして、パースやウィトゲンシュタインのあいまいさの取り扱いの中にそれらを乗り越える契機があると結論した。
  • 哲学研究論集 1巻 41-49 2004年3月  
    Timothy Williamsonの著書<I>Knowledge and its Limits</I>三章の要約とコメント。

MISC

 8

書籍等出版物

 7

講演・口頭発表等

 36

Works(作品等)

 5
  • コーラ・ダイアモンド, 次田瞬, 大谷弘
    2021年12月25日 その他
  • 2016年3月 その他
    イギリス、ノリッチのイーストアングリア大学に一年間滞在した際の印象をもとにした、日英の大学事情の比較と考察。
  • 大谷 弘, 長田怜
    2009年3月 その他
    大谷弘・長田怜訳。パラコンシステント論理を用いて様々なパラドクスの解決に取り組んでいるグラハム・プリーストが「あいまいさ」の問題にその論理を応用し解決を与えようと試みた講演の翻訳。(全体を共同で翻訳したため、担当部分抽出不可能。)
  • 大谷 弘, 藤本健太郎
    2007年10月 その他
    大谷弘・藤本健太郎訳。現代における最も有力な真理のデフレ論者であるポール・ホリッジが真理のデフレ理論の要点を明快に解説し、擁護した講演の翻訳。(全体を共同で翻訳したため、担当部分抽出不可能。)
  • 大谷 弘, 竹内聖一
    2007年3月 その他
    大谷弘・竹内聖一訳。第二次大戦中の非ナチスのドイツ人により行われたユダヤ人の虐殺における反ユダヤ主義イデオロギーの役割りについてのブラウニングとゴールドハーゲンの論争を、哲学的な観点から、ゴールドハーゲンに同情的に論じたニック・ザングウィルの論文の翻訳。(全体を共同で翻訳したため、担当部分抽出不可能。)

共同研究・競争的資金等の研究課題

 6

社会貢献活動

 5

その他

 12

役職・学内委員

 1
  • 件名
    哲学専攻主任
    開始年月日
    2024/04/01