大谷 弘
哲学 65(65) 135-150 2014年4月 査読有り
後期ウィトゲンシュタインの標準的解釈においては、ウィトゲンシュタインに、言語が規則に支配されているという見解が帰される。しかし、本稿は、後期ウィトゲンシュタインの言語と規則についての見解の解釈として、標準的解釈は不適切であると論じる。その理由としては、第一にウィトゲンシュタインの立場は、我々は必要に応じて言葉の意味を規則により説明するというものだということがある。従って、不必要なときには、言葉に対する規則など存在しないのである。第二には、標準的解釈は、ウィトゲンシュタインが実際には避けようとしていた独断的な哲学的方法をウィトゲンシュタインに帰すことになってしまうということがある。標準的解釈においては、言葉の使用規則は規範性の源泉と考えられており、ウィトゲンシュタインやウィトゲンシュタイン主義者が見て取るそのような規則を引くことで、我々はある種の哲学的主張をナンセンスとして却下できるとされる