花田 里欧子
人文学報 = Journal of humanities 125(125) 221-243 2026年
本稿は,島尾敏雄の小説『死の棘』に描かれる極限的な人間関係を語用論的・システム論的アプローチを用いて分析した。登場人物の行動を個人の病理としてではなく,家族という一つの相互作用システム内で維持されるコミュニケーションのパターンとして捉え直すことを目的としている。まず,理論的枠組みとして,家族をホメオスタシス(恒常性)システムと定義し,その安定性が不可視のルールによって統治されているとする。小説内の夫婦関係は,妻の執拗な尋問と夫の沈黙・弁明という円環的な相互作用(相補的および対称的スキズモジェネシス)によって,病理的な平衡状態を保っている。この硬直したシステムにおいて,夫は「何をしても罰せられる」というダブル・バインド(二重拘束) 状況に置かれ,夫婦間の対立は終わりのないゲームと化している。こうした二者関係の緊張が限界に達すると,システムは崩壊を防ぐために第三者を巻き込む三角関係化を引き起こす。本稿の中心的な仮説は,この過程において,長男・伸一ではなく,長女・マヤがシステムのために患者と見なされる人(Identified Patient: IP)の役割を担うことになる,というものである。伸一は「カテイノジジョウはやめろ!」と叫ぶなど,システムのルール自体に言及するメタ・コミュニケーションを試み,心理的に外部へ逃避する術を持っていた。対して,より幼く母親との身体的・アナログ的な共鳴が強いマヤは,両親の葛藤を一身に吸収し,逃げ場のない状況に置かれる。本稿は,マヤが何らかの症状を発症することで,夫婦が敵対者から看病する親へと役割を変え,システムの決定的な崩壊(離婚や心中)が回避されると論じる。エドワード・オールビーの『ヴァージニア・ウルフなんかこわくない』における架空の息子とは異なり,マヤの症状は実体を伴う不可逆的なものであり,システムを永続的に固定する楔となる。この理論的仮説は,後に島尾敏雄とその家族が奄美大島へ移住した際,マヤが現実に重篤な不随意運動と声の障害を発症したという事実によって悲劇的に裏付けられた。正気を保ちながら身体の制御を奪われたマヤの病態は,家族システムの歪みを不随意という形で引き受け,沈黙によってシステムを維持しようとした結果であると結論する。