日本文学文化学科

小澤 京子

オザワ キヨウコ  (Kyoko OZAWA)

基本情報

所属
和洋女子大学 人文学部 日本文学文化学科 文化芸術専攻 教授
学位
博士(学術)(2014年9月 東京大学)

連絡先
k-ozawawayo.ac.jp
研究者番号
40613881
J-GLOBAL ID
200901006829544713
researchmap会員ID
6000013126

外部リンク

論文

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MISC

 40
  • 小澤京子
    和洋女子大学紀要 65 211-223 2024年3月1日  筆頭著者
    フランス18世紀の哲学者ドゥニ・ディドロは、啓蒙主義の思想家として、『百科全書』の編纂者として知られているが、また美術論や演劇論も執筆し、さらに当時の王立絵画彫刻アカデミーによる展覧会「サロン」の批評も手がけた。これは、近代的な芸術批評の嚆矢であり、また市民階級に属する鑑賞者が芸術へと向けた新しい視点を示すものである。しかし、彼の「サロン評」には、いまだ体系的な邦訳が存在していない。本稿では、1759年から81年まで9回にわたり『文芸通信(Correspondance littéraire, philosophique et critique)』に掲載された「サロン評」のうち、1769年のサロンについての部分(絵画全般についての前文、およびブーシェ、シャルダン、モーリス・カンタン・ド・ラ・トゥール、ヴェルネについて言及した箇所)の訳出を試みる。 翻訳の底本としてはミシェル・ドロンによる抄録版(Diderot, Salons, textes choisis, présentés, établis et annotés par Michel Delon, Paris, Gallimard, 2008)に立脚し、適宜Hermann版(Diderot, Héros et martyrs (Salons de 1769, 1771, 1775, 1781 ; Pensées détachées sur la peinture), textes établis et présentés par Else Marie Bukdahl, Michel Delon, Didier Kahn, Annette Lorenceau et Gita May, Paris, Hermann, 1995)を参照した。
  • 小澤京子, 佐藤淳一, 間淵洋子, 吉井美弥子, 松崎夏実, 吉山さやか, 小堀洋平, 梅山聡, 小野真嗣
    和洋女子大学紀要 65 317-334 2024年3月1日  筆頭著者
    本教育振興プログラムは、日本文学文化学科の核である「文学、芸術、文化」を軸に、学生たちが表現や創作を通じて地域社会に参画し、協働・連携関係を築くための教育スキームの開発と実施を目的としていた。さらに、地域社会の発展と課題の発見・解決に資する企画立案とその実践を、学生主導で遂行することを通して、従来、日本文学文化学科の各専攻・各教員がこれまで個別に実施してきた活動を、統一的な理念と目的に基づいた総合的な制度に整備するためのものでもあった。 本稿では、本教育振興プログラムの目的と概要及びプログラムの着想に至った経緯や予測される効果を述べた上で、実際に実施された各プロジェクトの概要と成果を主担当者が報告し、さらに本教育振興プログラム全体の成果と課題について論じた。
  • 小澤京子
    同時代 (4(8)) 87-94 2023年10月  筆頭著者
  • 小澤京子
    ねむらない樹 (9) 124-126 2022年8月20日  招待有り筆頭著者
  • 小澤京子
    『群像』2022年9月号 77(9) 296-296 2022年8月5日  招待有り筆頭著者

書籍等出版物

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  • 福島知己編 (担当:分担執筆, 範囲:「フーリエの理想建築構想とその変貌」105-136ページ)
    水声社 2024年7月30日 (ISBN: 9784801008175)
    奇抜な理論とユートピア的な実践でもって、一部の熱心な弟子たちをのぞいては同時代人に理解されず、後年、空想的社会主義者として学説史の端に置かれたシャルル・フーリエの思想は、20世紀後半になってその全容を現し始めた。壮大な歴史観のもとに、種々の造語,奇想天外なエピソードを交えて、理想の共同体の建設を唱える彼の著述は、労働、産業、経済、婚姻、家族、道徳をめぐって、現代社会を根底から覆すアイディアの宝庫であった。 フーリエの著作群に通底する思考の力学を浮き彫りにし、その秘められた可能性を浮上させる14の読解。
  • 蘆田裕史, 藤嶋陽子, 宮脇千絵編 (担当:分担執筆, 範囲:「第1部 理論編 7. 身体」94-106ページ)
    フィルムアート社 2022年3月 (ISBN: 9784845921096)
  • 渋谷哲也 (担当:分担執筆, 範囲:ストローブ=ユイレ、量塊的映画(69-94ページ))
    森話社 2018年1月 (ISBN: 9784864051255)
    「文学・音楽・演劇・美術・歴史・思想・政治など、広範なモチーフを作品に取り入れながら、なお「映画」でしかありえない特異な演出法において極北の存在である映画作家ジャン=マリー・ストローブとダニエル・ユイレ。多言語を駆使し、説明性を排除した難解さゆえ、ときに観客を尻込みさせる彼らの作品を、その背景や原作との関係から多角的に読み解く」。(出版社サイトより) 小澤担当部分では、ストローブ=ユイレの映像における「場所」や「空間描写(テクストから映像への翻訳に際して、その何が変容するのか)」の特異性を論じた。 http://www.shinwasha.com/125-5.html https://www.amazon.co.jp/dp/4864051259/
  • 小澤京子
    法政大学出版局 2017年7月 (ISBN: 9784588786099)
    ルドゥの建築と都市をめぐる構想は、「文字」と「言語」、「語り」についての方法論の模索でもあった。幻視的や奇矯といった形容とともに《呪われた建築家》とされてきた従来の像を刷新し、その特異性の本質を明らかにする。建築の起源としての幾何学性志向、都市構想と性愛、性的建築と身体管理、書物の構造が出来させる仮構的な都市空間──。新たな言語創造者による「都市の書法」の追究とともに、時代の認識と欲望のあり方を炙り出す。
  • 神奈川大学人文学研究所編, 熊谷謙介編著 (担当:分担執筆, 範囲:「瞬間と持続、暴力と審美化の間で:リスボン大震災からフランス革命にいたる時期の廃墟イメージ」80-111ページ)
    青弓社 2017年3月 (ISBN: 9784787234124)

講演・口頭発表等

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  • 大久保美紀, 加藤有希子, 小澤京子, 吉岡洋
    IAMAS OPEN HOUSE 2024年7月21日 情報科学芸術大学院大学(IAMAS)  招待有り
    「ファルマコン:現代社会における〈毒〉の重要性研究」は、2018年より4年間実施された吉岡洋・加藤有希子・小澤京子・大久保美紀による連携研究を引き継ぎ、本研究を発展・展開を目指す。記録誌『ポワゾン・ルージュ』の続編(第5号)に向け、2年半ぶりのアップデート・シンポジウムを開催する。
  • 福島知己, 小澤京子, 藤田尚志, 逆卷しとね
    『シャルル・フーリエの新世界』(水声社、2024年)刊行記念トーク「フーリエを笑いものにするとき、われわれは何を犠牲にしているのか?」 2024年7月15日 本のあるところajiro  招待有り
    猫と花を愛し、狭いアパートで生涯を孤独に過ごした独居老人。海水がレモネードに変わり、五つの月によって夜の闇が照らされ、敏捷かつしなやかに動いて生活の利便を増進させる第五の肢が臀部に生えてくると予言した超絶奇人。教えを乞う弟子たちに決して心を許さず、自分の計画を実現してくれる篤志家をただひたすらに待ちながら無為に生涯を終えた頑迷固陋の人。ありあまる才気をもちながら、現実的な改革手段を何ひとつ提案できなかった空想的社会主義者。——シャルル・フーリエのイメージには、われわれが「世間並み」に生きようとすれば隠し通したい悪評が詰め込まれている。けれどもそれは、悪評であることだけが共通している、否定的イメージでしかない。結局フーリエとは誰なのだろうか。フーリエの統一的イメージは、どうすれば形成できるだろうか。逆に考えてみよう。なぜフーリエはバルザックやボードレールに賞賛され、シュルレアリストから先駆者と崇められ、クロソウスキーによって資本主義を乗り越える方途と目されたのか。彼の思想は、どのようにわれわれの想像力を刺激し、人間と社会についてのわれわれの理解を深化させるのだろうか。近刊『シャルル・フーリエの新世界』の執筆者二人が、フーリエを縦横無尽に論じる。
  • 小澤京子
    VerbFes #2 2024年7月14日 逆巻しとね  招待有り
    VerbFes manifesto ------------------------------- 学術界のPDCAサイクルは名詞を回す。学者の固有名、著作名、論文、概念、ネイティヴ・インフォーマントの仮名、仮説、物質、実験器具、環境要因、種、薬剤、数式……。入門書で紹介されている専門用語に一般動詞が含まれることは稀だ。知の主役の座にはいつも名詞が座っているから、名詞をたくさん記憶しているのが知識人、という通念は世人の松果体まで侵食している。知を獲得し蓄積するためには名詞を知らなければならない。だがそもそも知(knowledge)とは名詞の蓄積なのだろうか? フェミニズムSTSの論者ダナ・ハラウェイは、知を実践として語る。いくら研究者が奮戦しようが、観察系のなかで当のチンパンジーが行為をしなければチンパンジーの知は生まれないし、文字の羅列に読み手が意味を認めなければ解釈のしようがない。さまざまなアクションが入り乱れるなかで知は創発する。既知の知も状況に応じて、以前とは質の異なる知へと刻々と生成する。物識りや博覧強記に抱く世間のイメージに反して、知は誰にも所有できない。角が立つのを恐れず断言するなら、知は働く。 働く知が呼び寄せる出来事について思考を巡らせた先人は多い。たとえば、生成の思想家ジル・ドゥルーズは『意味の論理学』のなかで、動詞を元手に主部をつくる不定詞や動名詞に出来事を表出させる力を認めている。坂部恵は動詞「あう」が名詞化することによってできた言葉「あわい」に注目し、それが(主語の論理ではなく)矛盾や背反の存在しない述語の論理を構成すると論じている。宮野真生子の『出逢いのあわい』が、あわいという出逢いの場に生じる偶然性や出来事に肉薄しようと建てられた仮小屋であった点を思い返してもよいだろう。フェミニズムの政治や脱構築の中心概念であり続けてきた、J・L・オースティンの言語行為論とそれに類する行為遂行性の議論もこの列に連なる。所与のコンテクストに主体や客体を乗せるのではなく、アクターによる行為がコンテクストもろとも状況を編み上げていくさまを追うアクター・ネットワーク・セオリー(ANT)の貢献も見逃すことはできない。だがこれらはすべて、名詞に潜む動的なポテンシャルを汲み上げはしても、動詞の名詞化、あるいは動詞の概念化を志向する点において、依然として主体/主語の形而上学に与している。名詞の造語による概念は増殖をやめる気配はなく、動詞への関心はまだ貧しい。 世界には動詞が溢れかえっている。血管を破れば血はどくどくと吹き出し、シナプスはぷすぷすと結合し、がん細胞はがんがん増える。生きていないものさえ動詞に貫かれている。風が吹き、岩は風化し、マイクロプラスチックは分解され、PCは壊れる。動詞がつくる不安定な世界を御そうと、学術の徒は名詞と共に仮小屋を建てる。そして仮小屋に安住し、そのそばで営まれている、残酷でどこまでも開かれた動詞の世界に参加することを忘れる。学術論文に敷き詰められた文の末尾に座る「である」「だ」「なのである」は、「主語の論理」に仕え、働く知や出来事には頓着しない。学術の対象、あるいは学術実践自体に宿る、「主語の論理」では記述できない動詞の働きに対する、研究者の感度は鈍い。 何ごとにも例外はある。京都大学学術出版会から刊行されている「生態人類学は挑む」シリーズ(https://www.kyoto-up.or.jp/series.php?id=154)の論集「SESSION」は、動詞を問いとして掲げる先駆的な仕事かもしれない。各論の記述はさておき、「動く・集まる」、「わける・ためる」、「病む・癒す」、「関わる・認める」、「たえる・きざす」、「つくる・つかう」と並ぶ動詞群は「主語の論理」の末端へと分け入る手がかりを与えてくれる。 名詞の大樹の陰に寄り世界を把握しようとする知識人をきどるのはやめ、働く知が逆巻く動詞の渦の中に飛びこみ世界の制作に与する、VerbFeSをここに開催する。 逆卷しとね(学術運動家/野良研究者) 今回の登壇者: 木田 真理子 (コンテンポラリーダンス) 古怒田 望人/いりや (哲学) 小澤 京子 (表象文化) 福田 貴成 (聴覚文化) かふね (俳優・モデル・Ziner) なす (不気味の谷) 風味や (💩鑑定家) 神谷徹石 (哲学・倫理学) 室賀千草 (通訳)
  • サトウアヤコ, 三村尚央, 小澤京子(企画・司会)
    表象文化論学会第18回大会(関西学院大学) 2024年7月7日
    記憶と忘却と想起、記憶の共有可能性、場所と記憶といったテーマについては、メモリー・スタディーズの領野で、すでに一定の言説が蓄積されてきた。本ワークショップパネルは、アーティストのサトウアヤコが開発した方法「日常記憶地図」の共同的な実践──実際に手を動かし、自身の記憶を想起し、会場に居合わせた人々で語りあうという経験とその共有──を通して、上掲のテーマ系に新たな視点からの思考をもたらすことを目的としている。 まず、サトウのファシリテーションにより、参加者全員で「日常記憶地図」のワーク(*)を実践する。過去に住んでいた場所の地図を用意し、よく行った場所や日常通った道を赤ペンでなぞり、思い出したことを語り合う。次に、「記憶」をキーワードに文学研究を行う立場から、三村尚央が解説と考察を行う。最後に、参加者全員でディスカッションを実施する。 「日常記憶地図」では、地図が記憶のリリーサーとなり、“弱い記憶”が半ば無意志的に想起される。そこでは、物語のナラティヴを構成する以前の──この点で「証言」ともオーラル・ヒストリーとも少し異なる──場所についての記述が、個人的で断片的な語りとしてやり取りされる。ワークショップ形式により、このプロセスを参加者各々が実際に体験することを通して、“誰か”の記憶について論ずるのでも、記憶にまつわる既存の言説の再解釈でもないやり方で、個別具体的な記憶と場所の結びつきにアプローチしてみたい。
  • 小澤京子
    日本近代文学会2024年度春季大会特集企画「〈非/人間〉の臨界:交錯する表現の潜勢力」(駒澤大学) 2024年5月25日 日本近代文学会  招待有り
    一九六〇年代から一九八〇年代、つまり高度経済成長期からバブル期に掛けて、人間を取り巻く都市もまた、急速にその姿を変えていった。ここには、テクノロジーの発展による都市環境そのものの変貌と、産業構造の変化がもたらした社会変容の反映とがある。一見「進歩」の時代と思えるこの時期には、しかし「廃墟/遺棄された場所」や「廃物」のイメージが、文学、芸術、ポピュラーカルチャーまで様々な表現のなかに特徴的に現れ出てくる。それは第二次大戦終結直後の現実だった焼け野原ではもはやなく、観念的に回帰してくるカタストロフの光景、もしくは急速に発展してゆく都市空間のなかに見出された間隙のような場である。磯崎新が一九六八年に提示した「廃墟」のヴィジョン、一九七〇年代に不法投棄のゴミが集まるような「世間にとって未登録の空間」に着目した安部公房、そして一九八〇年代に起きた廃墟やジャンク表象の一大ブーム(大友克洋、宮本隆司、日野啓三、三上晴子、塚本晋也ら)…… そこでは次第に、都市や建築物、機械といった人工物の廃墟化だけでなく、人間存在そのものの廃墟化・廃物化、さらには人体と廃棄物の融合(または交錯や相互的な境界侵犯)といったイメージが頻繁に登場するようになる。 テクノロジーの所産である人工物(都市、機械…)と人体(脳や神経系も含む)との融合は、一方ではサイボーグ概念や人間の諸能力のエンハンスメントという発想と結びつく。しかし同時に、テクノロジー(あるいはその失敗や廃棄物)という他者と融合することで人体が半ば壊れ、それゆえに従来の「人間」の範疇を超え出た何者かへと変容を遂げるというヴィジョンの系譜も、確かに存在している。本発表では、この後者の側面に焦点を当て、従来の「人間」や「人間の理性」といったものへの了解可能性を喰い破る存在のあり方とその潜勢力について、いくつかの指標的・特徴的な作品に基づきつつ分析する。

担当経験のある科目(授業)

 21

所属学協会

 4

Works(作品等)

 1

主要な共同研究・競争的資金等の研究課題

 8

社会貢献活動

 7