研究者業績

小田 宏信

オダ ヒロノブ  (Hironobu Oda)

基本情報

所属
成蹊大学 経済学部 現代経済学科 教授
学位
理学修士(筑波大学)
博士(理学)(筑波大学)

J-GLOBAL ID
200901043112878873
researchmap会員ID
1000180226

経歴

 7

受賞

 1

論文

 43
  • 遠藤 貴美子, 山本 匡毅, 鹿嶋 洋, 藤田 和史, 小田 宏信
    経済地理学年報 70(3) 203-227 2024年9月30日  
    本稿では山形県長井市を事例として,分工場撤退後における製造業の存立形態を明らかにするとともに,地方小都市における自立的・安定的発展のあり方について検討した.その際,産業の多様化の視点から,機械工業の事業および生産品目の変遷だけでなく,酒造・木工玩具・織物といったクラフト的な産業の動向や,アントレプレナー養成の地域的基盤についても分析した. <BR>    事例企業らは,例えば,主要事業が創業時の電子カバー組立から電子部品組立に転換し,さらには自動車用部品加工に至るなど,技術の高度化や多様な分野への進出を遂げてきた.なお,クラフト的な産業については,海外への販路構築などの新たな戦略実施や,循環型地域づくりや観光事業への参与なども活発に行っていることが明らかとなった.さらに,インキュベーション施設であるイノベーションLab.長井i-bayでは,機械設計やモデリングなど多様な分野での新規創業が実現している.
  • 小田 宏信
    サステナビリティ教育研究 3 11-38 2021年11月1日  
    type:Article 本稿は,概ね2005年以降の日本の地域政策の歩みとそこでの具体的な諸施策について,包括的にレビューすることを目的としたものである.三位一体の改革および立地関係諸法の撤廃以降の地方政策として新たな施策体系が模索されてきたが,この間の日本の地域政策の特徴は,第1に,各地域が自らの地域の特性を踏まえて,それに見合った計画を作り上げることに迫られたということ,第2に,地域内で諸資源の活用,主体と主体の連鎖,人材や資金を含めた地域内循環といったものが強調されるようになったこと,第3には人口の縮小,財政規模の圧縮,環境負荷軽減に対応して市街地の集約化に舵を切ったということ,第4に,「新たな公」「新しい公共」という考え方が定着し,民間企業やNPO,市民に地域づくりの担い手として参画することを求めるようになったということが指摘できる.そして,地方創生という語が使われるようになってからは,人口の長期ビジョンと結びついて,雇用機会や人口の地方分散が重要な目標として掲げられるようになった.東京圏一極集中の是正が見えてきたとは到底言えない状況だが,持続可能な地域づくりのために,地域に内在する資源を見つめた上で,地域内外のさまざまなアクターが連携して自発的かつ創意に満ちた取り組みを進めるということがますます重要になっている.そのための人材育成ということは地理教育や持続可能な開発のための教育(ESD)に求めらている一つの使命である. identifier:http://repository.seikei.ac.jp/dspace/handle/10928/1480
  • 小田宏信
    サステナビリティ教育研究 (1) 37-52 2019年11月  
  • 小田 宏信, 遠藤 貴美子, 藤田 和史
    成蹊大学経済学部論集 50(1) 29-53 2019年7月  
  • 小田 宏信
    成蹊大学経済学部論集 47(1) 79-119 2016年7月  
    人文・経済地理学的視点から日本の首都圏整備史をまとめあげる一環として、本論文では首都圏整備法実施体制下の初期における工業衛星都市建設の理念・構想と実際を東京都内の八王子・日野地区および青梅・羽村地区の2事例について分析し、考察を施した。 (pp.79-119)
  • 小田 宏信
    韓国地域政策ジャーナル 1(1) 116-137 2014年12月  査読有り招待有り
    1990年代から2000年代初期におけるグローバル化の急伸期において分工場経済の問題がどのように表出したかをまず明らかにした上で、そうした問題に対して強い抵抗力を持った岩手県の産業集積の特徴を経済地理学の観点から論じた。 (pp.116 -137)
  • 松橋公治, 鹿嶋洋, 水野真彦, 小田宏信
    Geographical review of Japan series B 86 82-91 2013年7月  査読有り
    90年代半ばより、日本の製造業は本格的なグローバル化の只中におかれ、国内における工業地理の様相は激変を強いられてきた。本論文は当該時期を含む過去20年間の日本の製造業に関わる人文・経済地理学的研究を対外向けにレビューした。Studies on Industrial Regions (pp.86-88)を分担。 共著者:松橋公治・水野真彦・鹿嶋洋・小田宏信(pp.82-91)
  • 小田 宏信
    地域経済学研究 (23) 36-50 2012年1月  査読有り
    経済地理学および関連分野における産業集積論の古典を再レビューしたものである。1.問題の所在、2.戦前期日本の経済地理学における集積理解、3.フーヴァー立地論における集積、4.ヴァーノンとフーヴァーの外部経済論、5.古典的集積論の現代的意義、で内容を構成した。 (pp.36 -50)
  • 小田 宏信
    成蹊大学経済学部論集 39(2) 145-154 2009年2月  
  • 小田 宏信
    経済地理学年報 51(5) 443-464 2005年12月  査読有り
    Sable and Piore(1984)によって提起された柔軟な専門化仮説は,レギュラシオン学派を媒介として,Scott (1988)をはじめとして,経済地理学に大きな影響をもたらしてきた.一連の議論に従えば,その仮説は,1970年代の経済危機を「産業分水嶺」として,それまでフォーディスト企業が牽引してきた少品種大量生産が後退し,新しい産業地域の形成を伴った柔軟な生産が卓越してきたというものである.もちろん,このようなパラダイムシフトには多くの懐疑的な批判論文が寄せられてきた.しかし,こうした議論を日本の産業上の経験に擦り合わせようとした論考はほとんどなされていない.このようなテーマに対して多少なりとも手がかりをあたえてくれるのは,Freedman (1988)とHumphrys(1995)である.Freedmanは,日本の経済発展の原因を官僚主導の経済政策に帰した従来の観点に対して,中小企業のネットワークの力強さを経済発展のもう一つの源泉ととらえ,その経験的な実例を長野県坂城町に見出した.一方,Humphrysは,近接性に基づく関係特殊な取引を日本の競争力の基礎とみなした.筆者は,他の先進工業国に比べて,日本の生産システムが卓越した局地的集積に特徴付けられることに対しては異論がない.そして,そうしたロカリティにおける中小企業のパフォーマンスも,大手企業とそのサプライヤーの関係特殊性も同様に重要であった.こうした議論になんらかの問題を提起するものがあるとすれば,以下の通りであろう.第1には,日本の製造業もフォードシステムの洗礼を受けているということである.もし,フォード生産システムが分散的な立地システムを求めたとすれば,それは局地集中的な生産システムとどのように折り合いをつけてきたのであろうか.他方で,日本はフォードのような大量生産ではなく,トヨタシステムのような中量生産を獲得してきたのだという考え方も成り立つ.もし後者が妥当であるならば,第2には,そのような中量生産を日本がいつ,どのように構想したのであろうか.こうした疑問に応えるためには,日本の生産システムの歴史地理を振り返ってみる必要がある.こうした問題を考察すべく,本稿は,次のような構成で成り立っている.2章では,マーシャルの著作における大規模生産の地理的組織化について,簡単なスケッチを得る.マーシャルは,「相互の知識と信頼」を基礎においた産業地域の重要性を論じるだけではなく,ヨーロッパに忍び寄るアメリカン・システムの影響をとらえていた.3章では,マーシャルの時代の日本における川口鋳物と名古屋時計の2つの典型的な産業地域をみる.この時代の日本でも,建設的協同が育まれる一方で,アメリカン・システムの浸透がはじまろうとしていた.4章は,日本へのフォードシステムの受容を考察するために,大河内正敏,松下幸之助,そして豊田喜一郎という3人の先覚者に焦点をあてた.彼らは,フォードの著作に影響を受けつつも,それを日本の状況に適合したシステムに改良しようとしていた.5章では,戦後に本格的に発展した大量生産システムに埋め込まれたマーシャル流のシステムが描き出される.6章では,1990年代におけるネオ・マーシャル的な取引関係の顕在化が述べられる.日本においてフォード的な原理と,マーシャル的な原理は,決して二者択一的なものではなかった.むしろ,日本の大量生産は,その最初の時期より,中量生産を念頭に置き,フォード的な生産方式にマーシャル的な原理を内包したものであった.そのような産業発展の構図は1940年代には生じており,1960〜70年代に開花し,1980年代まで持続した.以後に大きな転機があるとすれば,1990年代に日本の製造業がアジアとの競争にさらされて以降である.今日,日本の製造業には,長期継続的な取引関係に裏打ちされた「相互の知識と信頼」のみならず,新たな「相互の知識と信頼」の形成を促す社会関係資本の構築が求められている.
  • 地域地理研究 (9) 2004年  査読有り
  • 小田 宏信
    筑波大学人文地理学研究 (27) 131-154 2003年3月  
  • 大橋智美, 和泉貴士, 小田宏信, 斎藤 功
    『地域調査報告』 25(25) 47-70 2003年3月  
    近年,全国で街なみ保存の機運が高まっている。街なみは地域の歴史や風土がはぐくんだ,まさにその地域の「顔」であるといえる。このような街なみは、著しい経済成長が続いた1960年代に都市が成長するにつれて,住宅の建設や道路の拡幅に ...
  • 小田 宏信
    筑波大学人文地理学研究 (26) 81-102 2002年3月  
    本稿は先に公表した拙稿(小田、1999)の姉妹編にあたるものである.前稿もまた本稿と同様に1980年代以降における日本の機械工業集積の変動を対象としたものであった.しかし、現稿の性質上、その内容は同時期の立地政策のレビューと既往の実証的研究の展望を通じた問題の所在および分析視点の導出にとどまっていた. ...
  • 小田 宏信
    筑波大学人文地理学研究 25(25) 273-301 2001年3月  
  • 藤田 和史, 小田 宏信
    地域調査報告 23(23) 123-134 2001年3月  
    I はじめに 1970年代以降、急速な伸長をみた日本の加工組立産業は1990年代におけるアジアへの立地展開の過程で、国内における再編を強いられてきた。教鞭なものに思われた国内の産業集積は綻びをみせはじめ、国政および地方行政の双方において、 ...
  • 高橋 伸夫, 手塚章, 村山祐司, 平 篤志, 小田宏信, 松村公明
    人文地理学研究 (25) 201-248 2001年3月  
  • 小田 宏信
    経済地理学年報 45(4) 291-306 1999年12月  
    グローバル化時代において, 日本の中小機械工業は, 海外との競争, 受注先企業の生産体制変革の中で, 経営体の選別・淘汰を伴った再編を強いられてきた.ここに日本の製造業を支えてきた基盤的技術集積の崩壊が危惧され, 立地政策も再集積策への転換をはかっている.本報告は近年の研究展望を通じて, とくに機械工業に関わる日本の産業集積の現段階とその研究視点について考察したものである.集積システムの変動を分析することは経済地理学の最重要課題の一つである.その分析にあたっては, 産業組織論を踏まえた動態的な集積・分散論を援用するとともに, 生産工程に対する技術論的な理解に基づく必要がある.さらに, 機械工業集積の現局面を明らかにするためには, ME技術革新期という歴史的契機, および距離や面的広がりといった空間的契機を実態分析に積極的に取り入れ, 立体的な構造解明がなされなければならない.こうした観点からみると, 日本の機械工業集積はME技術革新期・グローバル化期を経て, 基盤的製造加工業者群の立地分散と取引連関の広域化に伴って, 集積地間のネットワークの形成へと自生的にも政策的にも向かいはじめている.今後, 日本の中小企業集積を維持・拡大していくためには狭域的な立地環境の整備, また社会的なコンセンサスづくりが不可欠である.
  • 小田 宏信
    桜花学園大学研究紀要 1 149-176 1999年3月31日  
    本稿はフィリピン共和国の今日に至るまでの産業立地政策・地域開発計画の沿革を概観した上で,1990年代の外資導入・輸出指向工業化政策の下における地域経済開発の諸相について代表的な地域を取り上げて報告するものである。同国ではラモス政権下での政権安定から1990年代以降,多くの外国資本の投資を引きつけてきた。かかる状況下で同国の産業立地政策はかつての産業分散を主目的としたものから,本格的な輸出指向工業化を達成すべく集積の経済の形成を前提にした立地戦略に変化しており,いくつかの新たな成長中心が出現するに至っている。今日,かかる成長中心からの波及効果をいかに周辺地域へ導くかという点が地域政策上の課題となっている。
  • 小田 宏信
    経済地理学年報 44(1) 48-57 1998年3月31日  
    岩手県北上地域は地方圏としては有数の機械工業集積地に発展している. 本稿は, これを裏付けるべく, 企業間受発注連関の集計的データを用いて, 工業集積の空間的拡がりとその内部構造, 受発注連関に伴う地域間結合を分析したものである. その結果, 次の3点が明らかになった. 第1に, 受発注連関の機能的まとまりという点で北上地域には明らかな工業集積の存在が確認でき, その空間的拡がりはテクノポリス指定地域とほぼ一致している. 第2に, 集積地内部の生産システムに着目すると, 複数の上位企業が下位企業の技術基盤を共有する形態になっている. 第3に, 地域間の結合関係を検討すると, 北上地域の工業集積は, 首都圏からの発注を受け入れ, そのうち組立などの部分工程を県内へ分配すると同時に, 東北地方に広範に立地する企業群からの発注を受け入れる「加エセンター」としての役割を担っている.
  • Oda Hironobu
    Science reports of the Institute of Geoscience, University of Tsukuba. Section A, Geographical sciences 19 39-55 1998年1月  
  • 小田 宏信
    地理学評論. Ser. A 70(9) 555-576 1997年9月  査読有り
    ME(マイクロエレクトロニクス)技術革新が中小企業にもたらした影響として,再集中化が進行したとする説と大都市工業の地位が低下したとする説とが提起されている.こうした見解の矛盾を止揚すべく,本研究は,技術革新下における大都市機械工業の変容の実態を京浜地域のプラスチック金型製造業を事例にして解明したものである.その結果,技術革新が経営体の階層分化とそれに応じた立地対応を惹起し,そのもとで連関構造も再編されるという一貫した機構が明ちかになった. ME化の受容の形態には資金力や熟練技'能の蓄積状況に応じて違いがある.資金力の大きな業者(資本集約型)はその内部経済性を高め立地分散が顕著であるのに対し,熟練技術者に恵まれた業者(技能集約型)は既存集積地域に留まりそこでの外部経済を活用した経営を継続した.一方,この二つの経営基盤がともに弱い中間的階層の業者群(中間型)は,ある程度のME機器と外部経済を活用し,既存集積地の外延部において日本工業の多品種小量生産化に対応した生産を行うようになった.かくして集積地は外延的に拡大し,その中での階層的な連関秩序・集積構造のもと,既存集積地と外延部で異なった技術体系・地域的連関構造が生じている.本研究から指摘できることは, ME技術革新がマーシャル流の「産業地域」への再集中をもたらしたわけではなく,むしろ,集積を基調としつつも階層的・重層的な連関秩序を内包したより広域化した中小企業ネットワークを作り出したということである.
  • Hironobu Oda
    Geographical Review of Japan, Series B 70(1) 10-31 1997年6月1日  査読有り
    The purpose of this paper is to investigate the locational dynamics of the Japanese plastic-mold manufacturing industry during the microelectronics innovation, as a typical example of the small- and medium-sized machinery industries. The plastic-mold manufacturing industry started around 1930 and a complex developed in Southern Tokyo. The development of mold technology formed the basis of the mass production of durable customer goods with dependence on skilled labor. When the Japanese industry as a whole experienced drastic decentralization in the 1960s and early 1970s, the mold industry maintained centralization in existing industrial regions. However, the recent technological innovation caused rapid locational dispersal into peripheral areas of the industry and the regional differentiation of production. The above facts do not conform to the hypothesis in the neo-Marshallian flexible specialization approach, which proposes that the diffusion of ME devices and flexible production methods resulted in "re-regionalization". The innovation had the effect of producing spatially wider networks of small- and medium-sized manufacturers around the existing agglomeration structure.
  • ODA Hironobu
    Geographical review of Japan, Series B. 70(1) 10-31 1997年6月  査読有り
    The purpose of this paper is to investigate the locational dynamics of the Japanese plastic-mold manufacturing industry during the microelectronics innovation, as a typical example of the small- and medium-sized machinery industries. The plastic-mold manufacturing industry started around 1930 and a complex developed in Southern Tokyo. The development of mold technology formed the basis of the mass production of durable customer goods with dependence on skilled labor. When the Japanese industry as a whole experienced drastic decentralization in the 1960s and early 1970s, the mold industry maintained centralization in existing industrial regions. However, the recent technological innovation caused rapid locational dispersal into peripheral areas of the industry and the regional differentiation of production. The above facts do not conform to the hypothesis in the neo-Marshallian flexible specialization approach, which proposes that the diffusion of ME devices and flexible production methods resulted in &quot;re-regionalization&quot;. The innovation had the effect of producing spatially wider networks of small- and medium-sized manufacturers around the existing agglomeration structure.
  • 小田宏信
    豊田短期大学研究紀要 (7) 147-169 1997年  
  • Revue Belge de G(]J1117[)ographie 120(1-3) 93-98 1996年  査読有り
  • 小田 宏信
    豊田短期大学研究紀要 (6) 160-172 1996年  
  • 山本定男, 北村 敏, 小田宏信, ほか
    大田区立郷土博物館紀要 (4) 1994年3月  
  • 小田 宏信, 鹿嶋 洋, 篠原 秀一
    地域調査報告 16(16) 49-70 1994年3月  
  • Nakagawa Tadashi, Suyama Satoshi, Oda Hironobu
    Science reports of the Institute of Geoscience, University of Tsukuba. Section A, Geographical sciences 15 107-122 1994年  
  • Nakagawa Tadashi, Suyama Satoshi, Oda Hironobu
    Science Reports of the Institute of Geoscience, University of Tsukuba, A 15 107-122 1994年  
  • 小田 宏信
    地域調査報告 15(15) 113-122 1993年3月  
  • 中川 正, 季 増民, 須山 聡, 小田 宏信, 廣田 育男
    人文地理 44(6) 643-662 1992年  査読有り
    The construction of Tsukuba Science City, located 60 kilometers northeast of Tokyo, began in the early 1970s. It started out as a national project to form an agglomeration of more than half of the major central government research institutions. Since that time, Tsukuba has also attracted 79 private research institutions, mainly during the 1980s, to form one of the largest agglomerations of private research institutions. This study geographically analyzes these private research institutions to identify the development of the agglomeration, its labor market, the regional pattern of its workers&#039; residences, the flow of goods in the agglomeration, and its research relationships with other institutions.Except for three firms, all private research institutions in Tsukuba were established after 1980. The majority of the construction occurred after 1985, when Tsukuba Science Exposition took place. Sixty of the 79 institutions occupy six research parks developed by such public offices as the prefectural government. The institutions emphasize basic research in high technology industries.The majority of workers are researchers, who are young and highly educated. Women make up only 17 percent of the workforce; few of them are researchers. Both researchers and administrative staff are from everywhere in Japan. However, some companies actively look for new administrative staff in national research institutions. They also seek graduates of the University of Tsukuba as researchers. The institutions whòse head offices are in the Kansai District or overseas have tried to develop a new labor market. Whereas the majority of female workers live in the surrounding rural communities, young male researchers reside in company dormitories within the city. Many of the elder male workers have bought houses outside the city because land prices in Tsukuba are too high.The commodity flow of these institutions is relatively small. Each company&#039;s connection with its factories is not strong in terms of commodity flow. Although some institutions are located close to their factories, they do not usually collaborate in manufacturing and testing, only in clerical work.The relation with related businesses differs according to the kind of service offered. Whereas office and laboratory supplies are available within the city, such services as experiments, data processing, and trial manufacturing depend upon offices or factories that are located mainly in Tokyo.The majority of the institutions seek information from central government research institutions. They also do collaborative research with government institutions. The abundance of co-authored publications indicates that some private research institutions have already established strong joint research relationships with government researchers. Whereas the communication among private research institutions is limited, one notable exception is the Tsukuba Research Consortium, which was established by eight private companies to encourage joint research.
  • NAKAGAWA Tadashi, JI Zengmin, SUYAMA Satoshi, ODA Hironobu, HIROTA Ikuo
    人文地理 44(6) 1-20 1992年  
    The construction of Tsukuba Science City, located 60 kilometers northeast of Tokyo, began in the early 1970s. It started out as a national project to form an agglomeration of more than half of the major central government research institutions. Since that time, Tsukuba has also attracted 79 private research institutions, mainly during the 1980s, to form one of the largest agglomerations of private research institutions. This study geographically analyzes these private research institutions to identify the development of the agglomeration, its labor market, the regional pattern of its workers' residences, the flow of goods in the agglomeration, and its research relationships with other institutions.Except for three firms, all private research institutions in Tsukuba were established after 1980. The majority of the construction occurred after 1985, when Tsukuba Science Exposition took place. Sixty of the 79 institutions occupy six research parks developed by such public offices as the prefectural government. The institutions emphasize basic research in high technology industries.The majority of workers are researchers, who are young and highly educated. Women make up only 17 percent of the workforce; few of them are researchers. Both researchers and administrative staff are from everywhere in Japan. However, some companies actively look for new administrative staff in national research institutions. They also seek graduates of the University of Tsukuba as researchers. The institutions whòse head offices are in the Kansai District or overseas have tried to develop a new labor market. Whereas the majority of female workers live in the surrounding rural communities, young male researchers reside in company dormitories within the city. Many of the elder male workers have bought houses outside the city because land prices in Tsukuba are too high.The commodity flow of these institutions is relatively small. Each company's connection with its factories is not strong in terms of commodity flow. Although some institutions are located close to their factories, they do not usually collaborate in manufacturing and testing, only in clerical work.The relation with related businesses differs according to the kind of service offered. Whereas office and laboratory supplies are available within the city, such services as experiments, data processing, and trial manufacturing depend upon offices or factories that are located mainly in Tokyo.The majority of the institutions seek information from central government research institutions. They also do collaborative research with government institutions. The abundance of co-authored publications indicates that some private research institutions have already established strong joint research relationships with government researchers. Whereas the communication among private research institutions is limited, one notable exception is the Tsukuba Research Consortium, which was established by eight private companies to encourage joint research.
  • 須山 聡, 小田 宏信, 廣田 育男, 李 増民, 中川 正
    地域調査報告 14 25-42 1992年  
  • 小田 宏信
    地理学評論(ser.A) 65(11) 824-846 1992年  査読有り
    本研究は,浜松都市圏の機械金属工業の立地動態を,生産体制の視点から分析したものである. 1957年から1988年までの32年間を4つの時期に区分して分析を行なった結果,相対的にみて,周辺地域への分散的な立地が顕著な時期と,中心集積地域内への求心的な立地が顕著な時期があることが判明した.さらに業種類型別に検討し,資本集約化が著しく進展する時期,および,単純労働に依存する部門において分業化が進展する時期には,分散的な立地が顕著であり,熟練労働に依存する部門において分業化が進展する時期には,中心集積地域への求心的な立地が顕著であることを指摘した.とりわけ,日本経済の低成長期にあたる1973年から1980年にかけては,後者の傾向が優勢であり,この時期には,自動車メーカーにおける設備投資が停滞する下で,数多くの下請業者が発生し,それらは既存集積地の周囲に滞留することになった.
  • 小田 宏信
    地域調査報告 13 101-112 1991年3月  
  • 山本正三, 田林 明, 小田宏信, 林 秀司, 原田洋一郎, 吉村忠晴, 上木原静江
    地域調査報告 (12) 81-105 1990年3月  
  • 山本 正三, 田林 明, 小田 宏信, 林 秀司, 原田 洋一郎, 吉村 忠晴, 上木原 静江
    地域調査報告 12 129-185 1990年  

MISC

 47

主要な書籍等出版物

 50
  • 小田, 宏信 (担当:編者(編著者))
    東洋経済新報社 2024年3月6日 (ISBN: 9784492100394)
  • 伊藤達也, 小田宏信, 加藤幸治 (担当:共編者(共編著者))
    ミネルヴァ書房 2020年6月1日
  • 矢ケ崎典隆, 山下清海, 加賀美雅弘編 (担当:分担執筆, 範囲:越境する資本と企業)
    朝倉書店 2018年2月 (ISBN: 9784254168815)
    教職課程向けの人文地理学および地誌学の教科書として企画されたシリーズのうちの1館である。「第6章 越境する資本と企業(pp.54-66)」を担当。担当部分では、現代の経済的グローバル化に至ったプロセスを概観した上で、多国籍企業の立地論、グローバル価値連鎖の途上国経済への影響等を概説した。 編者:矢ケ﨑典隆、山下清海、加賀美雅弘 共著者:矢ケ﨑典隆、山下清海、加賀美雅弘、兼子純、箸本健二、小田宏信、高柳長直、岩間信之、呉羽正昭、松井圭介
  • 菊地 俊夫, 小田 宏信編 (担当:共編者(共編著者))
    朝倉書店 2014年7月 (ISBN: 9784254169270)
    本書は教職課程向けの世界地誌教科書のうちの1冊であり、動態地誌および比較地誌の立場から東南アジアとオセアニアの地誌をまとめたものである。全体は13章より構成されるが、そのうち「第3章 多くの資源と大きな市場の魅力:世界経済のなかでの東南アジアとオセアニア(pp.33-52)」および「第13章 東南アジアとオセアニアの比較地誌」のうち4〜6節(pp.155-159)を分担し、また全体を編集した。 編者:菊地俊夫・小田宏信 共著者:有馬貴之、生田真人、井田仁康、宇根義己、大石太郎、小田宏信、貝沼恵美、菊地俊夫、堤純、内藤暁子、沼田真也、松山洋、森島済、山下清海、横山智
  • 青山 裕子, Murphy James T, Hanson Susan, 小田 宏信, 加藤 秋人, 遠藤 貴美子, 小室 譲 (担当:共訳)
    古今書院 2014年2月 (ISBN: 9784772231572)
  • 杉浦芳夫編 (担当:分担執筆, 範囲:産業地域論—マーシャルから現代ヘ)
    朝倉書店 2004年6月28日 (ISBN: 9784254167160)

講演・口頭発表等

 53

担当経験のある科目(授業)

 17

所属学協会

 7

共同研究・競争的資金等の研究課題

 9

社会貢献活動

 4

メディア報道

 1